第九十八話 序列第十位

 爽やかな風が吹き抜ける、早朝の大森林。

 樹上に組まれた猫人族の里から降りた俺たちは、その大地の上に立って相手が来るのをじっと待っていた。

 土気色の広場の真ん中で堂々と仁王立ち……というわけでもなく、俺と族長が並んで打ち合わせをしているような形だ。
 周囲を見れば猫人族たちのほぼ全員が注目しているので、待機中にもかかわらず謎の緊張感があった。

「……そういえば、相手って序列の第十位なんですよね。
 なんでそんな相手がこの里に?」

 俺は緊張を紛らわせるべく、隣に立つ猫背の老人に顔を向けた。

「……彼らもまた、私たちの資源を狙っているのでしょう。
 別に、序列持ちに限った話ではありません。
 一度敗北して弱った種族は狙う、というのがセトゥムナに暮らすほとんどの種族たちの常識なのです」

 そこで彼は、ゆっくりとこちらを見上げてきた。
 しわくちゃだけど、妙に力んだ瞳で。

「私たちは、数か月前に、序列六位『浮浪のヴィノ』に敗北しました。
 そのときは酒や女たちを奪われるのみでしたが、そこから立て続けに他種族から決闘を申し込まれ、疲弊していったのです」
「断ることはできないんですか?」
「できません。
 断れば『卑怯者』と、セトゥムナのほぼすべての種族から罵られ、罰せられます。
 決闘の拒絶は、自殺行為に等しいのです。
 しばらくは『決闘者の準備が整っていない』と伝えて時間稼ぎをしていたのですが、ずっと誤魔化し続けるわけにはいかず、仕方なく数回の決闘を重ねましたが、勝てませんでした」

 彼は、顔をぶるぶると震わせて、呼吸を荒くする。

 いわく、猫人族で最も強かった決闘者が、二度目の敗北で相手種族に強奪ヘッドハンティングされたあたりから、どんどん空気が悪くなっていったのだという。

「いまのセトゥムナは、弱肉強食の世界です。
 一度負ければ他種族から狙われ、そして食われるのです。
 その末に待っているのは、一族の離散と、奴隷への道……。
 この大森林では、戦いで勝つ以外に生き残る術はないのです」

 老人の無念そうな声を聞き、
 俺は首をかしげた。

 脳裏に浮かんでいたのは、かつての砂漠の大陸での景色。

 ブヨブヨした白身の魚を漁獲する豚人族に、見たこともない奇怪な種族。
 そして、重力魔法で配達の仕事をする魔人。

 そこでは多種多様な種族たちが、互いに争うことなく共存していたのだ。

「食べるものも、生きるための能力も……種族ごとに違って当たり前なのに……
 なんで『戦闘能力』の優劣だけで価値を決めつけられなきゃいけないんだろう……」

 何気なくつぶやいたこちらの言葉に、族長が黙ったまま下を向いた。

 ――やがて、前方から半獣人の群れがやってくるのを俺たちは確認した。

「――吾輩こそが、序列第十位『堂々のドランドラン』である!!
 その決闘、受けて立とうではないか!!」

 現れたのは、巨大な大男。

 記憶の中のデューイの、二倍くらいはありそうな巨体。
 全身を頑丈そうな鎧に包み、その灰色の金属物のすき間から黒い剛毛がふさふさと飛び出しており。
 そしてその体躯の頂点部には、熊のそれを思わせる丸い耳が二つ、ぽつりと浮かんでいる。

 目の前の巨大な熊男……序列第十位『堂々のドランドラン』は、こちらが決闘という単語を口にした途端につばを散らす勢いで声を張り上げた。

「うむ、そなたが相手か!!
 半獣人ではない代理決闘者だな!!
 面白い!!
 決闘者の名に恥じぬ良い戦いをしようではないか!」

 がっしと掴まれる手首。

 それを、身体が持ち上がりそうになるくらい勢いよくぶんぶんと上下に揺らされ、うはは、と大きな笑い声がこだまする。

 こ、こんな豪快な男なのか。

 手首を抑えつつ、ちょっと呆気に取られながら目の前の決闘者を見上げた。
 根本的に普通の人間と骨格やら筋肉やらが違うと、一瞬で理解させられ、「これは倒すのに骨が折れそうだ」と冷や汗が流れるのを感じた。

 魔法道具はありらしいから、もちろん勝機がないわけではない。

 相手の装備で魔法道具になりそうなのは、パッと見では、全身を包んでいる灰色の金属鎧だけだ。

 もしかして素手で戦うんだろうか。
 拳に布を巻いているし。徒手格闘タイプなのかもしれない。
 ともするとこの布自体が魔法道具の可能性もあるから、そこは注意だな。

「……それでは、私、ミミズクのユイが審判を務めます……。
 ふぁ……朝は弱いですが、勝敗はちゃんと見極めますので……
 両者、公平な勝負を……」

 頭の上に耳みたいな飾り羽を二本伸ばした小柄な少女が、眠たそうに舟をこぎながらぼそぼそ呟く。
 ちょっと不安の残る審判だけど、まあどうにかなるだろう。

 彼女の指示に従って、相手決闘者と距離を離し、向かい合って音叉剣を構える。

 ドランドランは拳を構えたファイティングポーズで静止。
 彼の背後には、おそらく決闘に勝つつもりで連れてきたのであろう輸送隊らしき熊人くまびと族たちが、空っぽの荷車のそばで「無茶はするなよ!」などと声援を送っていた。

 翻ってこちらの背後からも、猫人族からの祈るような応援がかすかに耳に届いてくる。

 俺はゆっくりと深呼吸をした。

 まずは、こいつに勝ってセナの一族を見つけ出す……!

「では、はじめー」
「『堂々のドランドラン』、推して参る!!」

 いきなり、やつは突進してきた。

 速い。
 けど、目で追えるレベルだ。

 なまじ巨体なだけに威圧感が半端じゃないが、もっと速いやつが他にいる。

 突き出された丸太杭のようなパンチをかわし、風をまとって移動しながら相手の隙を伺い続ける。
 それにしてもすごい猛攻だ。魔法道具の能力がなかったら厳しかったかもしれない。

「あ、あの代理決闘者、強くないか……!?」
「何者だ!?」

 と、相手種族の取り巻きたちから聞こえてくる声に苦笑した。

 でも俺の数倍は強いであろう魔人がすぐそばにいるからなぁ……。
 砂漠の大陸でも、ドランドランよりでかくて強いサソリの魔物がいたし……

 とにかく、致命的な一撃をもらわないうちに早くケリをつけないと。

「むっ……!?」

 隙を見つけて相手の懐に入り込み、断切剣の能力で回転切り。

 やつの灰色の鎧に、深い切り口が、一筋。

 そこで危険を感じたのであろう、距離をとった相手決闘者が、離れた位置でにやりと不敵に笑った。

「その剣……なかなかの業物わざものであるな!
 しかも、魔法道具か!
 この決闘に勝ったら、ぜひともその武器を貰い受けたい……!」
「それはできないね。
 悪いけど、誰かに簡単に渡せるようなものじゃないんだ」

 互いにじりじり、じりじりと、距離を詰めていく。

 ――この時点で、俺は勝利を確信した。

「これは……ッ!?」

 ドランドランは顎を引いて、自分の胸のあたりを注視した。

 ――やつの金属鎧が、俺がつけた切り傷を中心として茶色く変色し、砕け始めている――……。

 作戦成功だ。
 金属腐食の能力を、さっきの剣戟にまとわせて斬ったのだ。
 時間差でやつの鎧は腐食していき、まるで毒のように金属が乾き、砕けていく。

「これで攻撃が通るようになった!!」

 俺はそこで風をまとって突進。
 ドランドランは拳を構えてこちらを見据えたが、逆に好都合だった。

 やつの足元・・へめがけ、能力を発動。

 直後、土気色の地面から、堅く分厚い土杭が飛び出した。
 殺傷力をおさえて平ために形作った先端部は、腐食した金属鎧の穴へと吸い込まれ。

 俺の姿だけしか見ていなかったドランドランは、足元の地面から突き出したそれに反応できず。

 重い衝撃音とともに巨体を持ち上げられた熊人くまびと族の決闘者は、地に倒れ伏した。

「――勝者、『剣士』スロウ~!」

 ワッと後方から張り裂ける歓声。
 背後で観戦していた猫人族が、安堵と賞賛の言葉を重ね合わせている。

 ふう、と息を吐いて、土埃のかすんだ広場の空気を吸い込んだ。

 猫人族とは対照的に、ドランドランが背負っていた熊人くまびと族の面々は茫然と頭を抱えていて、一部の者たちが倒れた決闘者のもとへと駆けよっていた。

「……お疲れ様、スロウ。
 怪我はない?」

 いつの間にかそばに寄ってきていたのはエフィールだ。
 振り返ると、変わらずフードを被ったままこじんまりと佇んでいる彼女が心配そうにのぞきこんできたので、剣を収めてから両手を広げて見せた。

「ああ、この通り」

 無傷の勝利、ということになるのだろうか。

 相手はセトゥムナの最上位十人の決闘者と聞いていたからけっこう集中して戦ったが、なんてことはない。

 これならいける。そんな確信が胸のうちに広がるのを確かに実感していた。

 とはいえ、汗を流しながら相手と一対一で戦ったことに謎の満足感やら競技精神を抱いている自分もいたので、俺は健闘を称えるべく相手の決闘者に近づいていった。

「ドランドラン、良い勝負だっ――」

 そして、凍りついた。

 ドランドランの金属鎧の内側は、ボロボロの様相だった。

 明らかに今試合よりもに受けたであろう、諸々の刺し傷。

 全身に巻かれた汚い包帯には黒ずんだ血の塊ができていて、いまなお傷が完治していないことが容易に見て取れる。

 手指の一部は、巻かれた布が解かれた瞬間にあらぬ方向に曲がり……。

 そして剝がされた鎧の内側から、痛々しい青い腕が現れて、その薄気味悪い変色具合から何かの猛毒が残っていることは明白だった。

「……えっ……なんでそんな状態で……」

「……ふはははは!! 傷つきながら生きるのが人生よ!!
 ベストコンディションなどという概念は我が語録にはないッ!」

 彼は脂汗をにじませながら、けが人とは思えない豪快な笑い声を上げた。

「いついかなるときも、この姿のまま全力を尽くすのみである!」
「……じゃあなんで傷跡を隠すような装備着てんだよ……」
「吾輩も序列持ちの端くれ……背負うものがあったのでな!
 弱ったところなど、我が同胞たちには見せられぬ!
 だがしかし、貴殿のような強者になら負けてもよいと思ったぞ!
 奥の手の魔法道具を使う余裕もなかった!
 うむ、正々堂々とした良き決闘であったぞ!!」

 ドランドランは、ニカっと笑った。

 どう考えても、戦いの場に出ていい状態じゃないはずだ。

 それに、あの青い腕。

 持続性の毒を使う決闘者の存在を、言外に教えてもらっているような気がした。

 決闘って、もっと正々堂々と戦うものなんじゃ……。

 …………

「……猫人族・族長のブラインと申します。
 まずはそちらが所有している猫人族の奴隷を解放していただきたい」
「ああ、そうした話は、我が主人に掛け合ってくれ。
 吾輩は決闘者……只の手駒にすぎぬのでな。
 資源の要求はあの、細い男に言うがよい」
「分かりました……スロウ様、まいりましょう。
 兎人族の居場所も、分かるやもしれません」
「あ、ああ……」

 半分うわの空で聞きながら、俺は族長のあとに続いた。

 話によると、今度は俺が序列十位の名を冠することになるという。
 決闘を申し込まれることも、増えるとのことだ。

 しかし、俺は、傷ついて介抱されているドランドランを見て、ただ決闘に勝てば良いだけの話ではないことを、半ば理解し始めていた……。