第九十七話 今後の方針

「ちょっと」

 茫然としていると、裾を引っ張られる感触がした。

「兎人族って言ってたけど、あんたが探そうとしてるのってあの兎の子なのよね?
 しっかりして。
 まだ取り返せないって決まったわけじゃないでしょ」

 小声で耳打ちしてくるエフィール。

 そこでようやく、嗅覚や聴覚などの五感が元に戻ってきた。

 取り返す……取り返す、か。

 確かに、そうだ。
 この国の決闘システムにのっとれば、戦って勝ちさえすれば、たとえ奴隷になった相手でも取り返すことができるかもしれない。

 第一、まだ彼女が囚われの身になったと判明したわけじゃないのだ。
 早合点が過ぎる。

「しゃんとしなさい。
 あたしがついてるから」
「あ、ああ。ごめん。そうだよな、ありがとう」

 フードを奥から届いた頼もしい声にお礼を返し、深呼吸。
 冷めた料理の匂いや肌に感じる涼しい空気に心を落ち着かせる。

 そして、不安はいったん片隅に押しやってから、努めて冷静に猫人族の老人を見据えた。

「すいません。具体的に兎人族はどんな状況なんですか?
 教えてください」
「……フラントールの一族は、理由は分かりませんが、天樹会から目の敵にされているようでございまして。
 あまりに露骨な手口で彼らから諸々の資源を奪っているそうです。
 ここ最近はかなり大っぴらに行われておりまして、半獣人たちの間ではかなり有名な話だと思います」

 天樹会てんじゅかいって、確かセトゥムナのトップ層だったか。

 何だって、そんなやつらが兎人族に目をつけてるんだ……?

 いや、そんなこと考えても仕方ない。

 まずは、そうだな。
 セナ本人ではなく、セナの一族と合流することにしよう。
 その方が確実そうだ。

「それじゃ、奴隷狩りの被害にあったフラントールの一族の人たちはどこに?
 どうすれば会えますか?」
「異国に連れていかれているのでなければ、そうですね、天樹会(てんじゅかい)傘下の集落に囚われているはずです。
 もっとも、会うにせよ、なんにせよ、決闘で勝たなければ要求を通すことも難しいのですが……」
「あ、そういえば俺はいつ決闘で戦うことになるんですか?」

 割と重要なことを聞き逃していた。

 そこで喉が渇いているのに気が付いたので、小休止として族長から水差しをいただく。

 やっぱりお酒はまだ俺には早かったみたいで、冷たいおいしい水で喉を潤しながら改めて姿勢を正した。

「そうですね、直近では明日、『堂々のドランドラン』が里を訪れる予定ですが……彼は序列の第十位。
 勝てば確実に情報は手に入るでしょうが、しかし、最下位とはいえいきなり序列持ちに宣戦布告するのはさすがに無謀ですので。
 まずは四日後の、もう少し弱い相手から……」

「それでいきましょう」

 俺は族長の言葉を遮った。

「明日、その序列十位ってやつと戦います」

 ぽかんと口を開けていた猫耳の老人が、ややあってから不安げにこちらを見上げてきた。

「し、しかし、相手はセトゥムナでも指折りの戦士ですよ?
 初となる決闘でいきなりそのような相手を戦ったら……!」
「でも勝てたら勝てたであなたたちにとっても嬉しいでしょ?」
「そ、それはもちろん!
 序列持ちともなれば強い影響力を持ちますから、今後かなり楽にはなります。
 しかし、それであなた様が故障してしまっては本末転倒です!
 どうかよくお考えになってから……!」
「いいや、早い方がいいから」

 俺は立ち上がって、音叉剣の柄に手をかけながら宣言した。

「明日、代理決闘者として戦わせてもらいます。
 勝ったらセナの……兎人族の情報だけ俺たちにください」

 有無を言わせぬ勢いで、族長の老人に顔を近づける。
 視界いっぱいに映ったしわくちゃの老人の不安げな表情に上書きするかのように、俺はにこりと微笑んだ。

 ――

 虫の鳴き声やフクロウの鳴き声がこだまする暗闇の森の中で、
 寝床から出て夜風に当たりに行く。

 ぎ、と足元がきしむ音を耳にしつつ、樹上にとぐろを巻いたような足場を進んで、落下防止のために備え付けられたのであろう木の柵に手首を置いた。

 眼下に広がる深夜の森は静まりかえっていて、呼吸を止めればすぐ暗闇に吸い込まれていきそうな気がする。

 砂漠の大陸でさんざん浴びたザラザラの風も、もうここでは感じない。
 過ぎてみるとあの砂粒もなんだか名残惜しくなってくるが、だからといって引き返すわけにはいかないだろう。

 樹上の足場からセトゥムナの大森林を見下ろしながら、深く息を吐いた。

「……眠れないの?」

 背後から聞こえてきた声に振り返ると、
 隣のテントで休んでいたはずのエフィールがそこに立っていた。

「起こしたか」
「いいえ、私も眠れなかったから」

 彼女は自身の赤い髪を撫でながらゆったりと歩いてきて、俺と同じように木の柵に手首を置く。

 昼間の時よりもリラックスしているように見えるのは、いまは魔人だとバレる心配をしなくて済むからだろう。周囲には自分たち以外の人はいない。
 普段は鋭いはずの彼女の瞳がすこしだけ柔らかいものになっているのをなんとはなしに見ていると、ふと、顔を上げたエフィールと視線が交錯した。

「……確認だけど、今後はあの兎の子――セナ、っていうんだっけ。
 その子を探すのよね?」
「ああ」
「風を操る魔法道具と、あと片手ボウガンを扱う子……で合ってる?」
「合ってる」

 そういえばセナは、魔人討伐を掲げて動いていたヘンリーさんから小型ボウガンの扱いも教わってたんだよなと、今さらのように思い出す。

 エフィールはセナと直接話したことはないはずだが、廃都ベレウェルでの戦いで使用武器と顔くらいは覚えていたのだろう。

 今後の目標人物のことを確認し終えたエフィールがそこで、ふぅ、と息を吐いた。

「出会いがしらに撃たれなきゃいいけど」
「彼女なら話せばきっと分かってくれるはずさ。
 デューイの方は……ちょっと分からないけど」

 どちらかというとあの黒騎士の方がトラブルメーカーな気がする。
 問題が起きるとしたらデューイと再会したときだろうが、そっちに関しては本人の居所が分かっていないのでまだ心配する必要はない。

 でも、連絡を取る方法については考えておかないな、と、黒い湾刀を背負う大男の姿を思い浮かべながらそう考えた。

「ねえ、ほんとにあたしが代理決闘者にならなくてよかったの?
 戦闘でなら、あたしも少しくらいは……」
「ダメだ。
 表舞台に出たら、いつか顔をさらしてしまう時が来るかもしれないだろ?
 望むと望まざるとに関わらずね。
 そんな真似はさせられない」

 かつてのベレウェルで水の太陽の転移に巻き込まれたから、ひょっとしたらもう世間では『エーデルハイドの魔人は死亡した』って話が広まっているのかもしれない。
 実際、長い間あの砂漠の大陸をさまよっていたわけだし。

 でも、万が一のこともある。
 今後の彼女のことを考えれば、こんなところでリスクを冒させてまで力を借りるわけにはいかなかった。

「……そんな顔するなって。
 あの族長さんも言ってただろ。『決闘は消耗戦だ』って。
 俺が動けなくなったときは、よろしく頼むよ」
「……そう、ね」

 一応、納得はしてくれたらしい。

 不本意そうな表情をしていた彼女がやがて「もし大怪我でもしたら、あのすっごく痛い鉄杭を突き立てて治してあげるから」とからかうようにひじを当ててきた。

 ……やがて、控えめなあくびを浮かべてから「おやすみ」と呟いて自分の寝床に戻っていくエフィール。
 そんな彼女の後姿を見送りながら、俺は考えた。

 鉄杭で治す、か。

 そういえばそういう魔法道具があるんだよな。

 砂漠の大陸に転移した直後のことだ。
 致命傷を負っていたエフィールが、自身の傷口に鉄杭の魔法道具をぶっ刺して治していたのを思い出す。

 激痛と引きかえに傷を癒すその能力は、たぶん、音叉剣でも使用できる。

「……いざとなったら、エフィールが決闘に出る前にそれ使って治すか」

 そんな風に一人呟いてから、俺も自分の寝床に戻った。

 そして、決闘の日を迎えた――……。