数時間をかけてたどりついた森林学院は、暗がりの多い場所だった。
やや薄暗い樹海に入って、やがて見えてきたのは巨大な樹木。
セトゥムナの大森林でも頭ひとつ抜けて背の高いと分かるその樹のてっぺんはまるで見通せず――。
巨人が大縄をよりあわせて作ったと言われても信じてしまいそうなくらい分厚い幹から、人工的な光が点々と漏れている。
どうやら樹木のなかをくりぬいて一つの巨大な施設にしているようだった。
そもそもが樹海の中にあるだけに、木陰が多く、涼しくて、容易には先が見通せない。
そんな環境のなかで、森林学院はひっそりと鎮座していた。
「ここが森林学院です!
あの大きな樹の中に研究者たちがたくさん住んでて、日夜、魔法道具の研究に没頭してるんですよ。
もちろん危険な実験とかは外でやってるみたいですけどね」
「へえぇ……」
物静かな雰囲気のなかに確かな人の気配を感じて、思わず息が漏れた。
いったいどうやってこんなところに人が暮らせるのだろう。樹の中なら、料理するための火とかも厳しそうなのに。不思議だ。
「まずは、中に入りましょう」
セナの言葉で入り口へ向かうことになったが、大樹に包まれている森林学院に入場するだけでも探索を必要とするほどだった。
最初は何か、根っこのあたりに穴でも空いててそこから入るのかと思ったが、違うらしい。
今まで歩いていた道からいったん逸れて大樹から離れていくと、突然、斜めに育った樹木が現れて、それが森林学院の内部へと伸びていたのだ。
入り口に向かうのに寄り道を必要とするという、なんとも不思議な構造である。
樹木という天然の足場を進んでいくと、ちょうど二階か三階くらいの高さのところでひときわ大きな扉が見えてきて、それが森林学院の正面入り口になるようだった。
「――おや、セナちゃん!
無事だったのか!」
「おじさん!」
扉のところに立っていた半獣人が、セナを見るなり笑顔を浮かべた。
「風の噂で序列持ちの決闘者になったって聞いてたけど、元気そうでよかった」
「はい、ご心配おかけしてすみませんでした。
でももう大丈夫です! 今日はわたしの……仲間に、ここを見せたくて来たんです。
いいですか?」
「もちろん」
セナはやはり以前もここに足を運んでいたらしい。
門番の役割をしていたらしいその人に、探している研究者のことを訪ね、場所を教えてもらう。
そのあとはすぐに扉を抜けて、森林学院の内部に入ることができた。
内部は迷路のようだった。
幹の凹凸に合わせて階段は曲がりくねり、迂回して、見えない上層へと続いている。
時おり、風の通っている横穴が現れてはその先へと進み、一度外に出て移動しないと上の階に上がれない場所もあった。
大樹の幹に張り付いて、はるか下の地面をひやひやしながらのぞきこんで唾を飲み込む。
なんだってわざわざこんな構造にしたのか。
落ちたらただでは済まないのに。
早歩きで進んでふたたび内部に戻り、どこに通じているのか分からない無数の扉が無数に現れて、この複雑怪奇な森林学院の構造に頭を抱えたのだった。
「――もしかすると『水の太陽』はこの世の存在ではないかもしれません」
通り過ぎようとした扉のひとつの奥から、ふとそんな言葉が聞こえてきた。
セナがこちらに気付かず先に進んでしまっているのを横目に、少し悩んでから、好奇心に負けて耳を澄ませる。
「構造が違ったんです。
普通の魔物はもっと生物に近くて、内臓とか骨格とかが……いびつではあるけれど残ってるんです。『水の太陽』とともにやってくる、あの四本足の異形の魔物たちでさえも。
しかし……『水の太陽』本体には、そうした体内器官がないんです」
「そんなのあり得ない。
実験に使った魔法道具に不具合でも起きたんじゃないのか?
そもそも、その実験自体も、偶然『水の太陽』に出くわしたときに突発的にやったんだろう?」
「まあ、確かに死ぬほど焦りながらやったんですけど……!」
「スロウさん!」
聞き慣れた声に、びくりと身体が跳ねた。
「あ、ああ、ごめん。すぐ行くよ」
扉から離れて、彼女のところに戻っていく。
堅い木の根のような足場にブーツの音を響かせながら、森林学院に満ちる涼しい空気を吸って息を整えた。
「あのさ、セナって森林学院には何度も来たことあるんだよね。
魔法道具以外にここでどんな研究されてるのか知ってたりする?」
「……もしかして、気になるところがありました?」
「……いや、まぁ……」
首を撫でながら顔を逸らすと、こちらを見上げていた彼女がみるみるうちににやけていくのが分かった。
「ふふふ、やっぱりそうですよねぇ。
もしかしたら、ほら、そこの扉の向こうに面白いものがひろがってるかもしれませんよ?
ほらほら、気になるなら開いてもいいんですよ? ここの研究者たちは『来るもの拒まず』で暮らしてるんですから。
ほらほら~」
「いまは目的があるから」
にへらと笑いながらのぞき込んでくるセナをかわし、早歩きで置いて行こうとしたが、視界の端から彼女がしつこく映りこんでくる。
「うふふ、それじゃまた今度ここに来ましょう!
何度でも、何日でも、わたしが案内しますから。
ね? 約束ですよ」
「……分かったよ」
降参の意味合いも込めてそう伝えると、彼女は嬉しそうに微笑んでからまた前を歩き始めた。
もちろん、興味のある話がありそうだと思ったのは事実だ。
この先、他種族から仕掛けられるであろう決闘をしのいで、余裕があればまたここに来てもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、茶色いウサギの後についていった。
やがて、他と見分けがつかない扉のうちの一つを開けると、ごちゃごちゃと散らかった狭い室内に一人の男がいた。
「――おや、お客さんか。珍しい」
やや背丈の低いその男は、犬のような耳を回してからこちらを振り返った。
微妙に青みがかった黒髪にゆったりとした服装。長く研究室に閉じこもっていたのだろうか、よどんだ生活臭のようなものが鼻についてくるのを感じながら一歩前に出る。
「一体なんの用だい。
ぼくは忙しいんだけど」
「初めまして、俺の名前はスロウと言います。
異世界のことについて聞きたいことがあって来たんですが……」
「なんだよ、ただで教えてもらえるなんて思ってるのか?
図太い人だなあ、せめてお金くらいは用意してきてくれないと……」
思ってたよりも手ごたえが悪い。機嫌が悪そうに何かの作業へ戻ろうとするその研究者の雰囲気に気圧されていると、後ろからセナが耳打ちしてきた。
「スロウさん! スロウさんが知ってる故郷のことを情報として渡してみてください。
この森林学院のメンバーならきっとそれだけで興味持ちますよ」
にこりと確信を持って断言するセナに背中を押されるようにして、不安を覚えながらもう一度部屋の中に踏み込んだ。
「実は、俺はイストリアっていう異世界の生まれなんです。
そこに戻る方法を知りたくて、ここに……」
「はは、何を言ってるんだい。
異世界間を行き来する方法はまだ見つかってない。
今はまだ、ダンジョンから発掘される魔法道具やその他のごみから文化を突き止めるくらいしか……。
……いや、そういえば、ダンジョンから不死の人間が現れたなんて噂があったな……」
「俺は普通の人間ですけどね。
まあ、『追放者』の知り合いはいましたけど……」
「ほお? その単語も知ってるんだ」
その研究者の男は顎に指をあててこちらを見上げてきた。
「……くすんだ金髪に、滅多に見ない緑色の瞳……。
君、どこの世界の生まれって言ってたっけ?」
「イストリアです」
やがて、腰の後ろで犬の尻尾を怪しく動かし始めたその男は信じられないとばかりに頬を歪ませた。
「まさかこんなことがありうるのか……? 研究している異世界人が直接訪ねてくるなんて……。
いや、そんなことあったほうが面白いな。うん、すごく興味深い……!
改めまして、ぼくの名前はイズミル。
異界の文化を……最近はもっぱら、『イストリア』と呼ばれている世界を研究しています。
さあ、入って。
ぜひキミの話を聞かせてくれ」