多くの扉でひしめいていた大樹の内側を後ろ髪を引かれるような思いで後にし、イズミルとともに外へ出る。
室内から屋外へ出た瞬間にだけ味わえる爽やかな茎をたっぷりと堪能しながら出入口の門番に挨拶とお礼を伝え、一行はフラントールの里へと戻りはじめた。
「……ところでキミ、追放者の知り合いがいたって言っていたよね。
なにか話は聞いてなかったかい?」
巨大な根っこを踏み越えながら歩いていると、イズミルがそう聞いてきた。
まだ怪我が残っているセナに歩調を合わせているので進行はゆったりとしており、会話を始める機会はいくらでもあったのだろう。
思いのほか体力に余裕がありそうなイズミルの後ろにつきながらこちらも返事した。
「話って……イストリアの?」
「そうそう。
せっかくだからさ、何か聞かせてくれよ」
「えっと、そうですね……いわく、資源に溢れた世界だったと」
「へえ!」
木の根の上からひょいと降りてきたイズミルに反射で距離を取りつつ、一度視線を宙に向け、あの熱い砂漠での記憶を引き出した。
「メレクウルク――その知り合いが言うには、無限に等しい大地が広がっていたらしいです。
……思い出した。
たしか、空に浮かぶ島があったと」
「空に浮かぶ島か……そういえば、前に解読した文書に『天空大陸』って書かれていた気がするな、もしかしてそれのことなのかな……? だとすると――」
顎に手をあててブツブツと思索にふけり始めたイズミルが、すぐにハッとして頭を下げてきた。
「いや、すまない。つい……」
「ほんとに熱心ですねぇ。
そういえばイズミルさんはどうして研究者に?」
質問したのは最後尾のセナだ。
ちらりと後ろを振り返り、怪我の部位をかばうような歩き方などしていないか素早く確認し、すぐに視線をイズミルのほうに向けた。
「ははは……何てことはないよ。
子どものころから好きなんだ。ここじゃない世界に目を向けるのが。
いまは別世界の文化とかそういう領域に落ち着いたけど……
こればかりは、いくつになってもやめられない」
苦笑したイズミルは恥ずかしそうに頭を掻いていた。
口調から察するに、いまの進路には満足しているのかもしれない。
そりゃ、子どものころから興味のあった分野に携われるのなら本望だろう。
彼の猫背を視界に収めながら、みずみずしい樹海の下に足跡を刻んでいく。
遠くから届いてくる風が心地よく、葉のこすれる音が心を落ち着かせてくれた。
「もちろん、大人になってからは面倒な雑事も増えてきたけどね。
成果だって出さなきゃいけないし、それ以前にお金も稼がないといけない。
……おっと、通り過ぎるところだった」
そこで突然、足を止めたイズミルがこちらを振り返ってきた。
「この辺を右に曲がるとね、フラントールの里までの近道になるんだ。
こっちに行こう」
「え? そんな道、知りませんけど……?」
首を傾げたセナに、猫背の研究者は優しく言った。
「じゃあ冒険してみようか。
たまには、知らない道を歩いてみるのも悪くないだろう?」
その一言に、セナは顔を輝かせて頷いた。
イズミルの指さした方向はあまり道が整っていないように見えたけど……まあ大丈夫か。
セナの体調は良さそうだし、足取りもしっかりしている。
むしろちょっと荒れた道を通っていくほうが良いリハビリになるかもしれない。
そう考えてこちらもセナ同様に賛成と伝えた。
涼しい樹海の中を、イズミルを先頭に進んでいく。
あまり人が通っていないのか周囲の緑の密度がさっきよりも少しだけ大きい。
少しだけ身近で聞こえる鳥たちの鳴き声を耳にとらえながら、イズミルのあとに続いた。
「こっちの道はね、セトゥムナの森に住む野生動物を見つけやすいルートなんだ。
……ほら、あそこ。見えるかい?」
近くの茂みの影にしゃがみこみ、枝葉のすき間から奥のほうに目をこらす……。
そこには、土兎の親子がいた。
茶色い毛皮に覆われた大小のウサギの親子が、鼻をしきりにひくつかせ、身軽に動きまわっては辺りの様子をうかがっている。
「かわいいですね……!」
声を潜めたセナが、身を寄せてくる。
息がかかるくらいの近さで彼女に見上げられて不意にどきっとしてしまったが、大事な仲間なのだから邪(よこしま)な感情を向けるなと自分に言い聞かせて無理やり思考を切り替えた。
あの土兎は、別の国でも見たことがある。
デューイの故郷である白銀都市アリアンナ付近の草原とか、そのあたりだったろうか。
さすがに砂漠の大陸とか、湿地帯が多かったベレウェル近辺では見かけなかったけど、もしかしてあの兎はけっこう広く生息している種なんだろうか。
「……野生動物ってのはさ、かわいそうなもんさ」
やがて、隣でしゃがみこんでいたイズミルが静かに口を開いた。
「僕らみたいにたくさんの娯楽なんてないだろうし、唯一あるとすればおいしい食べ物のことくらいかな……。
自分だけの夢を追い続けることの幸せを、きっと彼らは知らないんだろう」
しばらくすると子ウサギのほうが鳴いて、離れた親を呼び始めた。
のんびりと草を食んでいた親はめんどうそうに食事を中断して我が子のもとへとにじり寄っていく。
「……僕だったら……ああやって辛抱強く子どもを育てるなんてとうてい我慢できないな。
だって『あれ』のせいで、どれだけ自分の人生を犠牲にしなくちゃいけないのか想像もつかないんだから」
ふと、自分は野生動物から視線を外してイズミルのほうを見やった。
……なんだろう。
この、殺意のようなトゲトゲしい雰囲気は。
「……僕はね、決闘ですべてが左右される今のセトゥムナ連合のこと、けっこう気に入ってるんだ。
上に上がれば、うっとおしい連中のことなんて気にしなくていいから。
――僕には成し遂げたいことがある。
きっと、この世界にとっておおいに価値のあることだ。
それを押し殺してまで、馬鹿なやつらの面倒なんて見たくない」
違和感とともに眉をひそめていると、猫背のまま振り返ったイズミルと視線が交差する。
彼の黒い両目の奥には、薄暗い闇がよどんでいたように見えた。
「この世界は、弱肉強食。
強いやつが正しいのさ」
――なにかの風を切る音を鼓膜に感じ、即座にセナを抱きかかえて跳躍する。
直後、自分たちのいた場所に巨大な槍が突き刺さった。
轟音とともに宙を舞う土くれと、さして驚いている様子でもないイズミルの微笑。
土兎の親子はすでに姿を消し、樹上にとまっていた鳥たちが慌ただしく飛び去って行く。
とっさのことで困惑しているセナを背後にかかえ、叫んだ。
「なんのつもりだ!?」
「……」
やがて、ゆっくりと立ち上がるイズミルの背後から、大きな影が二人分、姿を現すのを目視した。
「――くすんだ金髪に、芯の欠けた剣の魔法道具を持っている男……
間違いねえ。あいつが『龍剣』スロウだな」
「そうだよ、アジュラ。
あいつらが舟の情報を握ってる。
……二人とも、思ってたより早かったね。
もしかして準備してたのかい、ツク」
「当然ですよ。
うっとおしく耐え続けるフラントール族の決闘者たちをつぶせる好機など、そうそう逃しません」
片方は、白い体毛に全身を覆われた筋骨隆々とした虎男。
もう片方は、線の細い体躯にゆったりとした服をたなびかせる長身の男。
「誰だ」
「序列第二位、『猛虎』のアジュラ」
「序列第三位、『謀略』のツク」
そして、アジュラと名乗ったほうが拳を突き合わせて頬を歪めた。
「てめえらに決闘を申し込む」
信じられない気持ちでイズミルのほうに目を向けると、彼はさっきのように苦笑しながら頭を掻いていた。
「ごめんね。
僕も手っ取り早くイストリアに行ってみたいからさ」
……どうやら、自分たちは罠にハメられたようだった。