第百十一話 セトゥムナの上位ランカー

「……だましたんですか!?」
「フラントール族が隠し持つ空の『箱舟』さえあれば異世界渡りが可能になる。
 実際に魔法の世界に行けるのなら、狭い部屋にこもってちまちま研究する必要なんかないじゃないか」

 それに。

 とイズミルが自身の背後の決闘者たちに顔を向けた。

「異世界渡りを実現できれば、僕の『資金提供者』から……『天樹会』から最高の環境を用意してもらえる。
 いくらでも研究に没頭できる環境をね。
 ……森林学院なんて納得のいかないルールばかりさ。
 あんな不自由なところが、僕のほんとうの居場所なはずがない」
「御託はもういい、研究者の犬っころ。
 とっととそいつらぶちのめして情報を吐いてもらおうぜ」

 イズミルをどかすように前に出てきた白虎のような大男に、もう一人の細身の決闘者が追随する。

「そうですね。
 アジュラ、狙うならばそちらの女のほうが勝ちやすいですよ」

 ツクと呼ばれていた男の言葉に、はっとした。

 ――怪我人に決闘を申し込むつもりか。

 ふざけるな、そんな勝手に話を進められてたまるか。

 歩いたりするくらいならまだ平気だったが、さすがにまだ戦いをさせるわけにはいかない。

「待て! 彼女はまだ怪我が残ってる!
 それに、決闘と決闘の間隔は数日間は空けなきゃいけないはずだ!」
「知らねえよ。てめーの体調管理くらいてめーでやれや。
 そっちの怠慢を押し付けんなよ」
「押しつけてるのはそっちじゃないか!」

 涼しかったはずの樹海が妙に暑く感じてくる。

 ルールはいったいどこに行ったんだ?

 喉元に淀んだ不快な感覚を吐き出すように叫ぶが、相手側の態度はひどく冷めたものだった。

「めんどくせえ……。
 序列第二位『猛虎』のアジュラ。
 貴様に決闘を――」

 気だるげにセナに向かって宣言しようとするアジュラを見て、舌打ちをしそうになりながら上書きするように叫んだ。

「序列第七位『龍剣』スロウ!
 俺が決闘を申し込む! 一対一だ!!」

 ――その時、にやりと笑ったツクという細い決闘者の顔を自分は生涯忘れることはないだろう。

「おや、そちらから申し込んできてくれましたか。
 ちょうどよかった。
 では、決闘のルールに則り勝者は敗者の要求を聞くこと……。
 審判はこのツクが務めましょう」

 喉元に淀んでいた不快感が、さらに重くなった。

 こいつ、最初からこれを狙って……。

「スロウさん……!」
「いいや、大丈夫……大丈夫だ、セナ。
 これは逆にチャンスだ。
 どうせ舟を動かすための『鍵』は天樹会に奪われてるんでしょ?
 なら、この決闘で勝てば取り返せるかも」

 相手は序列の第二位。
 こいつに勝って第二位の座を奪えれば、物品やらいろいろ要求できるのはこっちの方だ。

 半分以上は彼女に心配をかけさせないための言葉だったが、よくよく考えればむしろ好機である。自分で言った内容で自分を納得させながら、ゆっくりと立ち上がる。

「へっ、そう来なくちゃ」

 セナを離れさせ、にやりと笑っている巨大な白虎と対峙。

 音叉剣を引き抜いて構えながら、改めて相手の姿を観察した。

 ふさふさの白い体毛に覆われた巨躯の上半身には何も装着されておらず、魔法道具の類は見えない。
 強いて言えば下に穿いている武闘着くらいなものだが、こいつは魔法道具がなくとも手ごわそうだ。
 以前戦った序列十位のドランドランよりはやや背が低いものの、筋肉の密度としなやかさがあっちとはまったく違う気がする。

 

 ファイティングポーズを取っているところを見ると格闘技術で戦うタイプのようだが……あの見た目だ。人間というよりはむしろ本当の獣を相手にするつもりで臨んだほうが良さそうだ。

 

 じっと『猛虎』を見据えて深呼吸し、神経を集中させる。
 呼吸が整い、熱くなった全身とは裏腹に頭は冷えている。

 相手との距離は取れている。
 序列の第二位ともなれば強敵だろうし、様子見しながら堅実に隙をうかがっていくか……。

 

「では、始め!」

 力強く足を踏み出した、次の瞬間――。

 

 ――音叉剣を弾き落とされた。

 

「……なっ……」
「魔法道具だの何だのと……『道具』に頼る連中ばかりでイヤになる」

 みぞおちに丸太杭のような拳がめり込み、すべての感覚が途切れるのを正確に理解した。

 すこし遅れて背中に伝わった鈍痛で意識が回復。

 反射で受け身を取って地面を転がり、相手の決闘者を見上げた。

「スロウさん!!」
「ほお? いまの状態で受け身を取ったのか……。
 それなりに場数は踏んでるみてえだな」

 相手に弱みを見せまいと言い返そうとするが、今さらのように激痛がやってきて腹を抑えてせき込んでしまった。

 歯を食いしばってみっともなく地面を見つめながら、試合が始まった瞬間のことを思い出す。

 あいつは……アジュラはあの一瞬で間合いを詰めてきたのだ。
 こっちが反応できないくらいの俊敏さで、一気に。

 あれは魔法道具による力じゃない。
 いろんなところを旅して、いろんな相手と戦ってきたからこそ分かる。
 この決闘者は……素の身体能力でここまでのパフォーマンスを引き出しているのだ。

 ……視線を上げれば、弾き落とされた音叉剣はファイティングポーズをとっているアジュラの足元に転がっていた。

「くそ……!」
「……」

 とにかく、この決闘には負けるわけにはいかない。

 真正面から行くのはダメだ。体格差がありすぎる。
 近くに、利用できるものはないか……!

 視線を横に滑らせた途端、また瞬間移動のような素早さで『猛虎』が詰めてきた。

 およそ普通の人間には放てない豪速の二連パンチをすれすれで躱しながら、相手の懐に飛び込んで背後に回ろうとする。
 しかし、即座に蹴りで対応され、また地面を転がることになった。

「くっ……!」
「お前、ほんとうはかなりできるだろ。
 ほかの馬鹿な決闘者たちと違って、武器を無くしたからって闇雲に殴りかかったりしねえし、判断力もある。
 武器さえ落とせばすぐケリがつくと思ってたが……ただ魔法道具の恩恵に甘えてるだけの男じゃなかったみてえだ。
 異世界人ってみんなお前みたいに優秀なのか?」

 体格差を利用して股下をくぐろうとしたり、砂をまいて目つぶしを狙ったり、姑息な手段を見せつけて音叉剣を取り戻そうとするフリをしてから、石を掴んで相手の足関節に攻撃しようとする。

 が、しかしそのすべてに対応され、何度目になるか分からない殴打でまた気を失いそうになった。

「だからこそ残念でならねえ。
 ほんとうならお前みたいな好敵手とは正々堂々と戦ってやりたかったが……ボスがうるさくてな。
 今回は勝たせてもらうぜ」

 鞭で打たれたような鋭い痛みを足首に感じ、一瞬の浮遊感を知覚。

 アジュラに足払いをされたのだと理解した次の瞬間、重力にまっすぐ重ねるように拳を打ちつけられ、堅い地面の上をボールみたいにバウンドした。

「かっ、は……!」
「終わりだな」
「…………待て……まだ、勝負は……ッ!」
「もうついてる。
 そうだよなあ、ツク?」
「ええ。序列第二位『猛虎』アジュラの勝利で、決定です」
「間違いないよ。
 僕も……森林学院から来た研究者もその場を目撃したんだから」

 全身が泥のように地に貼り付いて動かない。
 あちこちの骨がきしみ、何度も殴打された箇所が猛毒のように痛んでまっくろな痣(あざ)を作っているのが見なくても分かった。

 わずかに首だけを動かして敵をにらみつけると、視界外から見慣れた兎人の影が躍り出た。

「――序列第八位『疾風』のセナ!
 あなたに決闘を――!!」
「ああ、それはもういりませんから」

 高速で背後に回りこもうとするセナに、ゆったりと手のひらをかざすツク。

 

 その瞬間、俺は見た。

 やつの目が赤色に変化するのを。

 直後、セナがまるで虫のように地面に叩きつけられ、周囲の地面がわずかに陥没。
 茶色い髪に遮られた彼女の顔が、苦痛にゆがめられた。

「もうあなたの対策は立ててありますから」
「うぅ……っ!」

 陥没した地面の上に貼り付いた風の短剣を拾い上げ、退屈そうに見下すツク。

 セナを押さえつけている力の作用の仕方も、変化する瞳の色も、見覚えがありすぎた。

 

 ――重力魔法!?

 あの男、魔人だったのか!!
 でも、それならどうして、序列の第三位として表舞台に出られてる?
 魔人が迫害の対象となっているのは、このセトゥムナ連合でも同じはずなのに――!

「ぐ……ぐうぅぅう!!」

 風をまとって無理やり立ち上がろうとするセナ。
 彼女の足の骨が、ミシミシときしむ音が聞こえてくるようだった。

「やめるんだセナ! まだ怪我が治ってないんだ!! それ以上は……!!」
「でも……!!」
「さて、決闘において勝者の言うことは絶対。
 そうですよね? フラントールの小娘。
 さあ……舟の在りかを答えなさい」
「い、イヤ、です……!!
 みんなでずっと、守ってきたものなのに……!」
「なら、また奴隷狩りをしなくちゃいけねえ。
 決闘の結果に従わない種族は罰しねえと」
「――それは、無理だよ」

 場にそぐわない笑みが自分の口から漏れ出て、少しだけ痛みが和らいだように錯覚する。

 脳裏に浮かんでいたのは、あの赤い髪の少女の後ろ姿だ。

「あっちには俺たち二人を合わせても勝てないようなやつがいるからね」

 ――直後、何者かに顔面を蹴り飛ばされた。

 

 アジュラじゃない。
 蹴ってきたのはイズミルだった。

 猫背の犬の研究者は、こちらをのぞき込むようにそこに立っていた。

「いいから、早く吐いてくれないかな。
 僕は早く異世界に行ってみたいんだ。
 ほら、そこのフラントール族の娘!
 早くしないとこの男が死んじゃうかもしれないよ」
「イズミ、ル……!」
「おや、ありがとうございます。手間が省けます」

 歯を食いしばりながら膝をつき、遠くに堕ちた音叉剣へと手を伸ばすが、それより先にイズミルに顔を踏みつけにされ、腹部を蹴り上げられ、徐々に痛覚が麻痺するほどになってくる。

 抵抗しようとするが、腕がうまく持ち上がらない。
 視界が暗くなっていって、聴覚すらも薄くなっていくのを感じた。

「――やめてください、スロウさんが――!」

「彼を死なせたくなかったらさっさと吐きなさい――!」

「――っ!」

 

 途切れゆく意識の中で、セナの声がゆっくりと遠ざかって消えていった。

「――舟の、場所は――……」

 

 

 

 ……次に目が覚めた瞬間に感じたのは、異様な身体のだるさだった。

 ずきずきと痛む腹部と、ぬるりとした鉄のような匂いでまみれた口内の感触。

 わずかな身動きひとつだけで電撃のごとく痛みが走るのに、なにかの馬車に乗せられているのだろうか、ゴトゴトと伝わる振動で追い打ちをかけられる。

 手首が妙に重い。

 何かが、装着されているようだ。

 ゆっくりと視線を落として、それの正体を確かめる。

 

 ――両手首につけられていたのは、重い金属でできた手錠だった。

 そうだ、確かこれは、セトゥムナ連合において奴隷が身につける道具……

 服従の手錠だ。

「……スロウさん……」

 見れば、そこには同じように手錠をかけられて座るセナの姿が。

「…………あぁ……」

 ぼんやりと空を眺めながら、すぐに悟った。

 決闘に負けた俺たちは……奴隷にされたようだった。