第百十二話 すべての元凶

「……セナ、怪我は……」
「おい、静かにしろ!」

 声を出した途端、何者かに頬を殴られた。

 痛む首を動かして確認すると、人相の悪い男がこちらをにらんでいる。

 始めて見る男だ。
 自分たちを陥れたイズミルでも、あの上位ランカーの決闘者でもない。

 ただ、予想はできる。
 おそらくは天樹会の手下の見張り役といったところだろう。
 それか奴隷の運び屋か。

 自分の両手にかけられた手錠が重い。
 改めて観察してみるが、どう考えても素手では取り外せない頑丈な金属物だ。
『金属腐食』の能力が使える音叉剣があれば簡単に壊せるけど……当然のごとく魔法道具は没収されているらしい。

 視線を上げて、対面に座る兎人族の少女のほうを見やった。

 セナは衣服のあちこちが土で汚れているものの、目立った外傷などは見られない。
 顔色もそこまで悪いわけではなさそうだし、怪我は悪化していないようだ。

 そのことにまず安堵したが、涙目で心配そうに見つめてくる彼女にもう一度視線を送って「自分は大丈夫だ」と伝えようとした。
 見張り役に気付かれないよう無言のまま頷いていると、彼女も察してくれたのか小さく頷き返してくれた。

「……いつ見ても、序列持ちの決闘者さまが奴隷に堕ちるのは爽快なもんだなぁ」

 そこで、自分たちを見張っていた男が意地悪そうにつぶやいた。

「どうせ、自分はできるとか思って格上に挑んだんだろ。
 調子に乗ってすべてを失ったいまの気分はどうだ?
 ん?」
「……」

 見下すようなそいつの態度に腹が立ったが、痛みの残る胸で深呼吸する。

 落ち着け、挑発に乗るな。
 まだ全部が手遅れってわけじゃない。

 ……ちらりと視線を下げて、そいつの腰に一本のナイフが装備されていることを確認。

 手錠をかけられているとはいえ、うまいこと羽交い絞めにでもしてやれば倒せるだろう。
 武器を奪えれば選択肢が増える。

 ここには自分たち以外にはいない。
 敵はこの人相の悪い男と、あとはこの荷車を操っている御者くらいなもの。

 ほんの少し油断したところを狙えば、まだ――……。

 と、見張り役を倒すべく腰を上げた瞬間、電撃のような痛みが全身を走った。

「ぐ……!?」
「ははは!! 作動したな。
 抵抗しようとするだけで雷撃が流れる仕組みさ、その服従の手錠は。
 上下関係の相手は天樹会の全メンバーに設定されてるから、相手を見誤ると痛い目みるぜ」

 焼けるような刺激が体内から抜けたあとに、ふと横を見るとセナも両手を額にあてて顔を苦痛に歪めているのに気が付いた。

 どうやら彼女にも雷撃が流れたらしい。
 連動作用があるのかと思ったが、さきほど自分が腰を浮かせたときに彼女もこちらの思惑を理解して動こうとしていたので、その分を食らったのだろう。

 二人して荷車の底に横たわりながら、意地の悪い見張り役を見上げることになった。 

「まったく、こんな都合のいい魔法道具ってのはそうそうない。
 これの量産方法を突き止めた森林学院のやつらには感謝しなきゃな。
 ……そら、見えてきたぜ」

 上半身を起こし、見張り役の視線の向こうに顔を向ける。

 開けてきた森のその先には、巨大な影が広がっていた。

 周囲をまるで巨人のように背の高い樹木が取り囲み、洞窟みたいに薄暗いその中心部に一筋の陽光がカーテンを降ろしている。

 しかしそのわずかな光源すらも、地上にいる人々を遠ざけようとするかのごとくそびえたつ巨大な塔が遮り、本来なら日の目を見るはずだった下層にさらなる影を落としている。

 牢獄のような重苦しい雰囲気に息を呑んでいると、セナがぼそりとつぶやいた。

「ここ……天樹会の拠点です……」

 ……やっぱり、そうか。

 自分たちを貶めたアジュラや、ツク、それにイズミルの話しぶりからして天樹会が一枚嚙んでいるだろうとは思っていたが、まさか総本山に運ばれていたとは。

 両手首につけられた重い手錠を動かしながら、乾いてきた喉でつばを飲み込む。

 ……エフィールは、今頃どうなっているのだろうか。

 フラントールの里に残っている彼女ならたとえ序列の第二位が相手でもそうそう負けることはないと思うが……。

 安否が分からないことに不安が大きくなってくるのを感じつつ、頭を振った。

 このままではいられない。
 機会を見てセナと一緒に脱出しなきゃ……。

 ……やがて人里の中心部へ近づくにつれて、異変に気が付いた。

 武器を持った決闘者らしき半獣人たちが列を為してずらりと並んでおり、最終点まで見通せないほどだ。
 並んでいる人たちはみんな緊張しているのか堅い表情だったり、あるいは逆に自信に満ち溢れていたりと両極端である。

 奇妙に思いながら腫れた目元で観察したが、途中で荷車が別方向へ曲がったので何があったのか知ることはできなかった。

 やがて、あの巨大な塔の下で奴隷たちが牽引していた荷車は止まり、乱暴に突き落とされてから麻袋かなにかを頭にかぶらされる。

 ほぼ何も見えない状態で無理やり歩かされ――痛む身体の節々を我慢しながら進んだ後、指示通りに膝をつくと急に麻袋を外された。

 突然取り戻した視界で素早く周囲を確認。

 セナがいない。
 途中で別の場所に運ばれたのか、姿が見えない。

 周りは豪華な内装で彩られているけど、ここは塔の内部か……?

 荷車に乗っていたあの意地悪そうな見張り役は交代したのか、代わって兵士らしき半獣人が背筋を伸ばして自分の背後に立っていた。

「――お前が異世界人か」

 上のほうから聞こえてきた声に顔を上げると、階段を下りてくる一人の男が。

 まるで王様のような豪華絢爛な服装に、もこもこのマント。
 金色の王冠からのぞく山羊の角は大きくねじれており、片方だけが欠損していた。
 顔つきからするに三十代かそれくらいのように見えるが……しわのにじんだ目元に怪しい生気が灯っていた。

「誰だ」
「控えろ!!
 こちらにおられるのは天樹会の創設者にして現会長――スノスカリフ様だぞ!」
「いいよ、別に。
 彼とすこし話がしたい」
「……はっ!」

 自分をここまで連れてきた兵士が下がっていく気配を感じつつ、改めて目の前の男を見上げる。

 こいつが天樹会の……セナたちの空を飛ぶ舟を狙ってる組織のトップか!

「――決闘でアジュラといい勝負をしたそうだね。
 彼、楽しそうに話していたよ」
「なにが決闘だ。あんな卑怯な手段で勝っておいて」
「それが最初の言葉か……。
 君にはすこし期待してたんだけど……。
 なんていうか、思ってたより他の連中と同じだな」
「あんなやり方で納得がいくわけないだろ」

 強めの言葉でそう睨みつけてやるが、スノスカリフと呼ばれていたそいつは豪華な服を邪魔くさそうに揺らしながら視線を遠くに向けた。

「ここに来るまでに、行列を為している人々の姿を見ただろう」
「……それが?」
「どう思った? あれを見て」

 ここには窓の類は無かったが、スノスカリフは外が見えるみたいにどこか遠くへと目を細めていた。
 どこか不気味な様子に息を呑みつつも、そっぽを向いて答えてやった。

「どうもなにも、あの行列がなんだったのか知らない」
「……あそこに並んでいたのは決闘者たちでね。
 うちの専属になるために、ああやって順番待ちで自分の力量をアピールしに来ている。
 理由はさまざまだ……。
 序列持ちの決闘者を目指して。天樹会に入って良い思いをするため。ただ純粋に武を追い求めて……。
 それぞれが各々の目的を抱いて、自らの足でここに来ている」

 そこで、今までずっと無表情だったそいつが静かな笑みを漏らすのを見た。

「――良い世界だと思わないか。
 勝負して、勝ったものは己の野望を実現し、敗者は去る。
 分かりやすくて美しい」

 笑っているスノスカリフを横目に、再度視線を走らせた。
 いま、自分たちの近くに兵士はいない。
 遠くの壁際に立ってこちらを見張っているやつが三人ほどいるだけだ。

 不用心だと思ったが、それ以上に奴隷がつけるこの装置を信頼しているのだろう。

 たしか、逆らろうとしただけで電撃が流れる仕組みだったよな……
 相手に危害を与えず逃げるだけなら……?
 ……いや身体能力の高い半獣人が相手だったら逃げきれないか……。

「けれど、最近はちょっとつまらなくなってきた。
 どうしてかって言ったら、負けたやつが文句言うようになってきたから。
 勝負を望んだのは向こうだって同じはずなのに、負けた後になって、やれ『食っていけない』だの『ずるい』だの……うっとおしくてかなわない」

 やつの言葉がふと耳に引っかかり、もう一度スノスカリフと目を合わせる。
 その時の、そいつのイヤに無垢な瞳の光に、自分の思考を一時中断させられた。

「――だから、排除することにした。
 決闘システムを利用して資源を集めつつ、奴隷の数を増やして、優れた魔法道具を集めさせて……
 病気したり、抵抗しようとしてくるような面倒なやつらは適当に処理して捨ててやった。
 我ながら天才だと思ったよ。
 邪魔者の排除と戦力の増強を同時に行えたんだから。
 私がなにかするまでもなく世界は私の思うように進んでくれたし、しかもほとんど誰もその構造を変に思わなかった。
 笑いが止まらなかった」

 絶句してそいつの顔を眺めたが、スノスカリフは自分の発言をさも当然のことのように考えている様子だった。

 作戦変更。
 逃げるよりも先に、こいつはここで止めておかなきゃ……!

 ――抵抗の意思を示した瞬間に自身に電撃が流れるのなら、相手に密着すれば感電させられる。

 そう考えて膝を浮かせ、即座に体当たりを決行。

 しかし突然、謎の衝突音とともに後方へ大きく吹き飛ばされる感触を得る。

 スノスカリフが視界の奥へと遠のき、体内で鞭が振るわれているかのような電撃に呼吸を奪われながら冷たい床を滑る。

 ようやく息ができたと思えば、雷撃の余熱がじんじんと全身を焼く感触にあえぐこととなった。

「……いまやセトゥムナは、己の弱さを盾にしてわがままを言うだけのクズどもばかり。
 私はそんな世界の一部になりたくない。
 どうせほとんどの人間は生涯をかけたって何も成し遂げられないんだ。
 最大限利用してから死なせてあげたほうが世の中のためさ」

 遠くからゆったりと歩いてくる仮初の王が、やがてこちらに膝をつき、ささやくように顔を近づけてきた。

「あとは、イストリアとかいう世界に向かえばすべての夢がかなう」

 動けない自分をのぞき込むように傾けられたそいつの虚ろな目が、じっとこちらを見据えていた。

「聞けば、異世界には不老不死の力があったそうじゃないか。
 その力があれば、できることが増える。
 異界の土地や、食料や、武器、技術に至るまで……。
 何がなんでも手に入れなければ」

 歯を食いしばって再度そいつに体当たりしようとするが、それ以上に強い電撃で全身が焼かれる。

 その様をじっと見ていたスノスカリフは、やがて飽きたように顔を上げた。

「そこの兵士。
 こいつを他の奴隷たちと同じように、例のダンジョンへ」
「分かりました」

 ――その瞬間、俺ははっきりと視認した。

 ゆっくりと立ち上がるそいつの首元に、不思議な『鍵』が吊られていたのを。

 フラントールの一族が守っていたという空に浮かぶ箱舟。

 それを動かすための鍵――。

「……お前が持ってたのか……!」
「さようなら、異世界人。
 お前のいた世界は私がもらう」

 立ち続けに全身に電撃が流れて思考を奪われる。
 意識が飛び飛びに続いたあと、いつの間にか背後に立っていた半獣人に後頭部のあたりを殴られ、また麻袋を被らされた。

 ――放り出される感覚で意識を取り戻し、直後に堅い地面に背中を強打して苦痛とともに覚醒した。

「スロウさん!」

 自分のそばに誰かが近づいてくる気配を感じる。
 かろうじてシルエットだけでセナだと気付けはしたが、あたりが暗くてよく見えない。

 自分の目が悪くなったのかと思ったが、それにしては薄暗すぎる……。

 自分を抱きかかえてくれた兎人族の少女の影越しに、遠く上のほうで星空のような青い光が点々と浮かんでいるのをかろうじて理解した。

「よし、今日新しく入った連中はこれで全部だな。
 聞け!! 奴隷たちよ!!
 ここはセトゥムナ連合に存在する唯一の大型ダンジョン、
『リラツヘミナ結晶洞窟』だ!
 反乱を防ぐため、お前たちの持っていた武器はすべて没収させてもらったが……ここもダンジョンなんだ。運が良ければ新しいのが見つかるかもな。
 さあ……生きて帰りたければ、手ぶらでこのダンジョンを攻略してこい!!