第百十三話 リラツヘミナ結晶洞窟

 リラツヘミナ結晶洞窟。

 かつて冒険者としてダンジョンに潜る日々を送っていたころ、その噂だけは耳にしたことがある。

 廃都ベレウェルと並ぶ、A級・・ダンジョンの一角で、その規模の大きさもあいまって攻略の難易度はトップクラスとされており。

 そして、攻略に訪れた者たちを『狂わせる』謎の力が働いているという……――

 

 頭上に広がるのは、塗りつぶしたような暗闇と、天井へ広がる偽物の星々。

 腫れた目で視線を横に滑らせれば数多くの水色の結晶がぼんやりとうすく輝き、その頼りない光源にやせ細った奴隷たちが幽霊のように照らされていた。

 暗闇の向こうで多くの人々が戸惑っているようなざわめきが聞こえてきて、自分は重い頭を上げて隣にいる少女に声をかけた。

「……確かセナは夜目が利くんだったよね。
 俺の代わりに周りの様子を見てほしい。
 よく見えないからさ」

 自分の目元に指をあててみるが、やっぱりかなり腫れているようだ。

 アジュラとの決闘でかなり痛手を負ってしまったらしい。
 胸の下のあたりがずきずきと痛むし、もしかたしたら骨の一本か二本折れてるのかも。

 そう考えながら隣でこくりと頷く彼女の気配を感じ取った。

「……わたしたち以外にも今日ここに連れてこられたばかりの人たちが十数人いるみたいです。
 遠くのほうから様子を見てるのは、たぶんからここにいる人たちだと思います……」

 小声でそう話す彼女の言葉にさらに耳を近づけた。

「それと、深部に続いてそうな大穴が二つか三つくらい見えます。
 もしかしたらまだあるかもしれないですけど……」
「分かった、ありがとう。
 セナ、俺たちはとにかく早くフラントールの里まで戻らないといけない。
 さっきここに連れてこられる前に天樹会のトップと話したんだ。
 やつら、もう舟の場所まで向かってる」
「……すみません……わたしが場所を言わなければ……」
「いいんだ、俺が勝てなかったのが悪い。
 ごめんね、人質にされるような失敗しちゃってさ。
 反省会したいけど、今はとにかくこのダンジョンから抜け出さないと」

 と、冷静に伝えてはみたものの、それを実行に移せるだけの余裕があるかどうか……。

 セナはまだ怪我が治りかけだし、下手したら先ほど序列三位のツクから受けた重力魔法で悪化しているかもしれない。

 自分も、序列二位のアジュラとの戦いで負傷してしまったが……音叉剣さえ取り戻せれば激痛と引き換えに全治できるあの能力が使える。

 剣を取り戻すまでは、自分が踏ん張るか……?
 仮にそうするとして、今の状態でどれくらい動けるか……。

 ……頭痛が鳴りやまない頭を無理やり動かしながら、セナに心配をかけぬように笑った。

「大丈夫さ。俺たちはもともとA級冒険者。
 あの廃都ベレウェルを攻略して生き残ってきてる。
 きっとどうにかなるさ」
「……はい」

 薄暗くて表情は良く見えなかったが、セナの細い指がこちらの手をぎゅっと握ってくる感触を得て、こちらも軽く彼女の白い手を握り返してあげた。

 

「――お前、いま冒険者って言ったか?」

 そこで、唐突に見知らぬ男が声をかけてきた。

 視線を上げる途中でふと気が付く。
 そいつの両手は自由になっていた。

 いや、よく見れば服従の手錠はついている。
 二つに分かれてそれぞれの手首につけられているのだ。

 痛む首をわずかに動かして素早く確認したが、自分たちを含めて今日連れてこられたばかりの者はみな両手首を合わせたままである。

 ……どうやって手錠を離すことができたんだ?

 不審に思いながらそいつを見つめていると、隣にいたセナがこちらの警戒心を読み取ってくれたらしい。
 自分の代わりに前に出て交渉役を務めてくれた。

「は、はい。そうですけど……」
「等級は?」
「A級です……わたしたち二人とも。
 そ、それがどうかしましたか?」

 互いに耳打ちするような二人の声を聴き取るのは中々難しかったが、その男が自分を見てはっきりと頷くのを視界の端でとらえた。

「よし、二人ともこっちに」
「え、待ってください。何をするつもりですか?」
「オレたちは薬を持っている。
 そっちの連れは怪我がひどいように見えるが、助けたくはないか?」
「……分かりました。けど、できるだけわたしたちから離れててください」
「いいだろう。
 警戒するのも無理はないだろうからな」
「……スロウさん、いいですよね?」
「ああ」

 彼の提案を断る理由はない。
 ここはA級ダンジョンだ。
 自分たちが冒険者であると確認しての話だったし、悪いようにはしないだろう。

 なにか情報が得られればいいが……。

「立てますか?」と腕を支えてくれたセナに感謝を伝えつつ、足を引きずるようにしてその半獣人の男についていく。

 

 ――その先で知り合ったのは、すでに結晶洞窟の攻略を始めていた奴隷たちのグループだった。

 半獣人四人で徒党を組んでいた彼らはここに入ってから長いらしく、魔法道具の回収作業に『使える』新人を探していたらしい。

 先ほど自分たちに声をかけてきたのはシャクロワという男で、このグループのリーダーだったようだ。

 そこでわずかばかりのしなびた薬草をもらい、セナと分けてお互いの傷口に貼り、何枚かは無理やり口に入れて飲み込んだ。
 口内に残ったすさまじい青臭さを唾液でうすめながら、彼らの話を聞いた。

「奴隷の身分から解放されるには二つ、方法がある。
 その内の一つが、魔法道具を一定数集めて献上することなんだ。
 で、俺たちはその数にかなり近づいてきたんだが……探索が進んでるところは他のグループに荒らされてこれ以上収穫が望めない。
 もっと深い層に行けばまだ魔法道具が残ってるかもしれないが、危険が多すぎて立ち往生。
……要するに打開策になるような存在を必要としてたんだ。
 とくに冒険者の経験があるやつをな」

 目の前の数人からのわずかな期待の視線を感じていると、セナの手錠をいじっていたメンバーの一人が「よし」とつぶやく。
 その瞬間、セナにかけられていた手錠ががきんと音を立てて切り離されるのを目撃した。

 どうやら、ここの人たちは手錠を切り離すすべを持っているようだった。
 攻略で活躍している奴隷のグループはみんなその方法を知っているとのこと。

 この仮の解除についてはダンジョン攻略のために天樹会も黙認しているらしい。
 しかしながら抵抗の意思を抱いただけで電流が流れる機能は失われていないみたいなので、そう都合よくはいかないかと重い息を吐いた。

「ちなみに、奴隷から解放されるもう一つの方法は?」
「……すぐに分かるさ」

 自分の手錠も切り離してもらいながら質問したが、はぐらかされて結局分からずじまいだった。

 

 その後「奴隷解放のチャンスは明日。今日中にあと四個は見つけないといけない」と伝えられ、さっそく攻略に向かうことになった。

 休憩は取らせてもらえなかった。
 痛む足を動かしながら必死で彼らの後についていくが、彼らも内心焦っていたのか、あまりこちらに気を遣ってはくれなかった。

 

 いつもよりも何倍も苦しい呼吸を重ね薄暗い足元に気をつけながら急いでいると……
 道中でいまだ手錠が切り離されていない奴隷たちをたくさん見かけた。

 ある者は、自分たちと同じように先ほどここに入れられたばかりで困ったようにウロウロしていたり。

 あるいは、おそらくもっと以前からここにいたのだろうに、今もなお手首がつながれたまま青い結晶に寄りかかって虚ろな目をしている奴隷もいた。

 

 たぶん彼らは、攻略グループから手錠の切り離し方を教えてもらえない――

 ……とどのつまりは『戦力外』と見なされている人たちなのだろう……。

 

「…………」
「セナ……さすがにあの人たちまでは」
「分かってます。
 いまのわたしたちには余裕、ないですもんね……。
 ――そこの足元、気をつけてください。尖った結晶が落ちてます」

 セナに補助してもらいながら、姿を見失いそうなくらい先を急いでいるグループの人たちにどうにか食らいついていく。

 他の奴隷たちを助けてあげたいのはやまやまだが……あまりにも数が多すぎる。

 何なら自分たちでさえ声をかけてくれたグループについていくだけで精一杯だ。

 さすがに他の人たちの面倒までは見られない……。

 

 明らかに助けを求めている様子の奴隷たちから目をそらして、そらして、逸らし続けて……

 薄暗い洞窟の中をおいていかれないように必死で走っていると、なにか巨大な後ろめたさの塊で押し潰されるようだった。

「……俺って、こんなに弱かったのか……」

 ぼそりと呟いた声は、狭い洞窟の中に響くこともなく消えた。