第百十五話 青い結晶

 広場をはなれ、電撃を食らった身体を休めながら背中を合わせてすぐ後ろに座っているセナに向かって口を開いた。

「……ここに来てからもう一日経ってる。
 もしかしたら天樹会スノスカリフたちは舟のところにたどり着いてるかも。
 早くここを抜け出さないと」
「でも、わたしたち二人で地上に出るための数の魔法道具を回収するなんて」
「……うん。普通に攻略してたんじゃぜったいに間に合わないし、無理だと思う。
 だから方針を変えよう。
 ダンジョンを攻略するんじゃなくて、ダンジョンから脱出する方法を探るんだ」

 呼吸の伝わってくる背中を通して、彼女がこちらを振り返る気配を感じた。

「そうですね!
 ダンジョンならどこかに出入口があるはずですし。
 ……電撃を浴びるのはちょっと怖いですけど……」
「でも、いま俺たちに電撃が流れてないってことは
 脱出の計画を立てるだけなら問題なしってことになってるんだと思う。
 抵抗の意思を抱いただけで流れるって話だったけど、その範囲は意外と狭いのかも。
 まずはこれから、もっと深層に潜ってみよう。
 強力な魔法道具が手に入れば脱出の糸口になるだろうし」

 

 ……そこで、広場のほうに他の奴隷たちが集まっている気配を感じたので、だるい体を持ち上げてセナとともに様子を見に行く。

 どうやらいつの間にか食事が運ばれてきていたようだった。

 汚い袋につめこまれたそれは結晶洞窟の暗い地面に広げられ、すでに多くの奴隷たちが膝をついて口にしはじめている。
 天樹会が相手といえど、腹は減っていたので飯が出るのは正直ありがたかった。

 数は限られているみたいだったので自分たちも急いで確保することにした。

 途中で聞こえてきた会話から察するに、ここに運ばれたのは天樹会が地上で食べたものの残飯のようだった。

 腐っているものとそうでないものがごっちゃになっていたりはしたが、たまにおいしいとはっきり分かるやつがあって少し嬉しくなる。
 が、そんな自分の姿を客観視してかなり陰鬱な気分になった。

 怪我を治すためにも必要だと自分に言い聞かせ、なけなしのプライドを守るためにきれいにした平たい石に食べられそうな残飯を乗せて人らしく食べた。

 飯の数が足りてなかったらしく、他の奴隷たちにたくさん食べられて十分に腹を満たすことはできなかったが、仕方ない。

 セナから「わたしはもうお腹いっぱいですから」と半分ほど無理やり渡され、断ろうとしたものの結局押し切られて申し訳ない気持ちになりながらそれらを口に入れた。

 そのときに昨日よりも明るく振舞っている彼女を見て、これから行く深層では食べ過ぎた自分が彼女を守らなければと腹をくくった。

 

 ろくな武器もないけど心の準備を整えて深層へと向かいはじめ……
 途中で、散り散りになったメンバーのひとりを見かけた。

 自分たちと同様にシャクロワに裏切られたひとりである彼はすぐ別のチームにくら替えしたらしく、すでに見知らぬ半獣人たちの輪に加わっていた。

 グループにいた残りの二人はどこにも見えなかった。

 

 きのう通った道をつかって深層へと舞い戻り、なんの武器もないので虫の魔物たちの眼をかいくぐるのにかなりの時間を要しながらあちこちを探索する。

 このリラツヘミナ結晶洞窟にいる虫の魔物たちは全員が即死攻撃を繰り出してくる。
 昨戦闘だけはぜったいに避けないと。

 拾い集める魔法道具については、質を重視した。

 数はいらない。

 選定基準は、脱出に使えるかどうかだ。

 ……とはいっても、危険な魔物が徘徊している深層で能力の試し撃ちなどできるはずもなく、結局小さくて持ち運びやすいものを多く持ち帰る方針に変わった。

 現時点で見つけられたのは指輪の魔法道具と槍の魔法道具のふたつのみだ。

 

 ――魔法道具を探索している途中で、シャクロワのグループにいたもう二人を発見した。

 彼らは洞窟のすみっこで、胸元に巨大な刺し傷を浮かべながら青い結晶にもたれかかって死んでいた。
 安らかな顔だった。

『いいか、あの青い結晶には触れるなよ。
 囚われるからな』

 と、昨日アドバイスをくれたのは目の前でこと切れているうちの一人だったと思う。

 このダンジョンには至るところに青い結晶が生えているけど……
 ……命を吸い取る力でもあるのか……?

 

「――まずい、見つかった!」

 そこで、背後から音もなく近づいてくるカマキリ型の魔物を視界に認め、セナの手を掴んでその場から逃げ出した。

 青い結晶の影や洞窟内に点在する廃墟を通り抜けて、上層へ続くルートに戻る。

 層と層とをつなぐ狭い道に逃げ込めれば、助かる……!

 重く感じる槍の魔法道具を担ぎながら全速力で走った。

「はっ、はっ、はっ……!」

 薄暗い洞窟内を転ばないように注意しながら本調子の出ない身体で必死に逃げ、
 音もなく距離を詰めてくる魔物に追いつかれる恐怖に耐えてようやく見えてきた細穴に滑りこんだ。

 先にセナを行かせたあと、雑な動作で槍の魔法道具を投げ込んで自分もさらに奥へと逃れる。

 弾けるほどに早まった心拍で全身を前に進ませながら振り返ると、淡い群青色のすきまから図体のでかいカマキリ型の魔物の影が遠ざかっていくのが見えた。

「……はぁぁ……! 助かった……!
 音叉剣無しでこんなところにいたら命がいくつあっても足りないよ……!」

 全身から力が抜けたように感し、壁にもたれかかりながら座り込もうとした瞬間、

 異変に気が付いた。

 

「……セナ?」

 首を回してみると、視線の先にはぼんやりと青く輝く光源。

 その結晶の一柱に、彼女の白い腕が当たっていて――……。

「セナ!!」

 呼吸が止まりそうになりながら急いで近寄り、彼女を青い結晶から引き離す。

 なんでだ。
 来たときはこんなところに結晶なんて生えていなかったはずだ。

 うつぶせのまま動かない彼女をひっくり返すと、いつもは輝いている琥珀色の瞳がとろんと濁っている。

 サーっと血の気が引いていくのを感じつつ彼女の肩を揺さぶって名前を呼んだ。

「セナ! セナ!!」
「…………う……スロウさん……わたし……?」

 すぐに意識を取り戻した彼女の両目と、焦点があった。

「あの青い結晶に触れたんだ!
 なにかおかしいところは!?」
「……いえ……平気、です」

 こちらの心配に反してセナはしっかりとした受け答えで上半身を持ち上げ、そしてゆっくりと長い息を吐き出した。

 まるで、長い夢から覚めたあとのような反応だ。
 彼女がなんどか深呼吸を繰り返すのをじっと待ちながら、様子を見て声をかけた。

「……ほんとうに、大丈夫?」
「……はい……。
 たぶん、直接的な害があるわけじゃないと思います。この結晶は……」
「直接的に、ってことは……間接的にはなにかあったの?」

 そう聞くと、彼女はなぜか眉根を寄せてうつむいた。

 なにかを飲み込むような苦しそうな表情とともに、やがてセナはこちらに顔を向けて笑った。

「この青い結晶は、触れた人に『夢』を見せるみたいです。
 ……とても、幸せな夢を……」
「夢……? セナは、何を見たの?」
「……」

 

 彼女は何も答えようとしなかった。

 

 それからすこし間を置いてから、自分たちは上層の広場に戻ることになった。

 帰り道は深層ほどは危険じゃない。
 薄暗い結晶洞窟内をつまずかないように気をつけながら、ゆっくりと戻っていった。

「……あれには、やっぱりれないほうがいいと思います」

 と、途中でセナはそう伝えてきた。

 その後、無事に上層の広場まで帰りつき、他の奴隷たちの姿を認めてほっと一息をついた。

 ひとまず今回の戦利品は槍の魔法道具と、指輪の魔法道具の二つだけ。
 槍は自分が、指輪はセナが持ち歩くことになった。

 次はこの二つの能力を探りつつ、脱出口を探さなければ。