第百十四話 ステルス・ゲーム

 ほんの少しだけ痛みが和らいできた腹部をおさえながら狭い洞穴を潜り、潜り……大部屋のような広い空間を通ってから、また狭い洞穴の奥へ潜る……。

 それが何度も繰り返されていく途中で、自分たちに声をかけてくれたグループの一人がふと大部屋のすみを指さした。

「いいか、あの青い結晶にはれるなよ。
『囚われる』からな」

 と、意味のよく分からないアドバイスを受け、その後は一度も会話を挟まなかった。

 彼らは遅れ気味の自分たちに対してイラついているらしく、こちらからの呼びかけにも反応が鈍かった。

 結局セナと二人、小声で励まし合いながら足元の良く見えない洞穴を進み、進み……ようやくグループの進行速度が落ちてきた。

 理由はすぐに分かった。
 魔物がいるのだ。

 むし暑い暗闇の空気を吸って泥のように重い身体を整えながら、先を進んでいた四人に追いついて物陰から奥のほうを覗き見る。

 薄暗い大部屋の向こうには、巨大な虫型の魔物が存在していた。

 カマキリのような姿形のそいつは音もなく徘徊し、人間よりもわずかに大きい前足を鎌のようにぶらつかせながら触覚を動かしている。

「……いいか、気をつけろよ。
 ここの魔物どもは全員が即死攻撃しか繰り出してこない。
 気を抜いたら次の瞬間にはあの世行きだ。
 ……苦しまずに済むだけマシかもしれんがな」
「……」

 声を潜めてそう教えてくれたグループのリーダー……シャクロワが、おもむろに縦笛のような魔法道具を取り出した。
 そして大部屋の角へとその先端を向け、笛に大きく息を吹き込む。

 音は鳴らなかった。
 しかしそれから数秒後……縦笛が向けられていた大部屋のすみから突然、笛の音が響きわたった。
 徘徊していたカマキリの魔物が、素早くそちらへにじり寄っていく――。

「今だ、先へ進むぞ。
 音を立てるなよ」

 リーダーの指示で全員で動き出し、自分たちも遅れないようついていく。

 

 リラツヘミナ結晶洞窟に出現する魔物は虫型が多いようだった。

 先ほども遭遇したカマキリのような巨大な虫の刃が、結晶の青い光に反射して輝いていたり。
 あるいは人間大もあるような羽虫が音もなく洞窟の暗闇から飛んできて「見つかったか」と心臓が止まりそうになったり……。

 隠れながらしばらく進んでいると、どうやら先に潜っていたらしい別チームの奴隷たちが魔物と戦っている場面に出くわした。

 彼らは魔法道具を見つけられなかったのか、落ちていた瓦礫の破片などで抵抗していたが、突然現れた魔物の針に刺された瞬間に魂でも抜けたかのように倒れこんで動かなくなった。

 突然現れた羽虫の魔物は、洞窟の壁に擬態して潜んでいたようだった。
 気が付けば全滅していたその奴隷たちの上で前足を動かしていたその魔物が、少ししてから暗闇の向こうに消えていく……。

 自分たちは眠るように絶命したその奴隷たちを後にし、迂回して先に進むことになった。

 

 このダンジョンの静けさは異様だった。

 音もなく徘徊する虫の魔物と、極端な軽装で探索する奴隷たち。

 悲鳴すら出す暇もなく絶命するパターンが多いのか、戦闘の場面には先ほどの一度だけしか遭遇しなかった。

 自分たちはシャクロワの持つ音を遠くで鳴らす縦笛の魔法道具や、他のメンバーが持っていた透視の眼鏡の魔法道具などを使って敵を避けつつ、あたりを探索した。

 魔法道具の発見にはセナが大きく貢献した。
 こんな状況下でも彼女の魔法道具への嗅覚はいかんなく発揮され、立て続けに新しい魔法道具を二つ、三つと発見。

 すぐに、奴隷から解放されるための数をそろえることができ、興奮を隠せないメンバーたちとともに急いで上層へ戻ることになった。

 帰り道で周辺の地形に擬態していた魔物と出くわして元の道に戻るルートを見失いかけたが、今までの経験測をもとに自分が先導し、ついでに新しい魔法道具が『装着した者の腕力を大きく高める』革手袋だと早々に理解。
 その能力で風化の激しいダンジョンの道を拓いて無事に帰り道を見つけられた。

 さらにセナもこの環境に慣れてきたのか、もともと高かった危険察知能力を発揮しはじめて、以降は一度も危機に遭遇することなく帰還。

 魔物が少ない上層に戻ったあとで、グループの四人全員から褒められて少しだけ気持ちが明るくなった。

 

 あとは、翌日を待つだけとなった。

 魔法道具を献上できるタイミングは明日の朝とのこと。

 奴隷の立場から解放されるだけの魔法道具を集め終わったいま、できることは何もないが……天樹会のトップであるスノスカリフはすでに舟の獲得に向けて動いている。
 そのことが気がかりだった自分とセナはじっとしていられずそわそわしていたが、グループのリーダーであるシャクロワが声をかけてくれた。

「大丈夫だ。
 明日になったら、全員で地上に戻れてる」

 そう励ましてくれた半獣人に「なんにせよ休んでおかないと身体がもたんぞ」と寝床に案内され、なんとなくわかってはいたがほとんど洞穴と変わりないそのねぐらに入り、シャクロワと別れ、冷たい岩肌に寄りかかって重い息を吐き出した。

 分けてもらった薬草でごまかせていたとはいえ、あそこまでダンジョンを探索するのはしんどいものがあった。
 すぐに休息を取ろうと、堅い地面に寝転んだ。

「……大丈夫ですからね、スロウさん。わたしがついていますから。
 エーフィちゃんみたいに怪我の診断はできないですけど、いざというときはわたしがどうにかしますから」
「……うん……ありがとう、セナ……」

 横たわった状態で目を閉じるとすぐに眠気がやってくるのを感じた。
 奴隷がつける手錠が重く動かしずらいが、セナが手を握ってくれているおかげか不自由は感じない。

 もう外は夜なのだろうか、洞窟内はとても肌寒かった。

 すぐ隣に寝転んで身を寄せ合ってくれる彼女の体温をかすかに感じながら、ゆっくりと息を吐く。
 セナの垂れた兎耳が頭の先のほうをつついてくるような感触を覚えつつ瞳を閉じ、遠くのほうでぼんやりと青い結晶が発光しているのをまぶたの裏で眺めながら、泥のような眠りに意識を預けていった――。

 

 

 翌朝になると、天樹会の者が一人、どこからともなくダンジョンに現れた。

「回収された魔法道具の確認を行う!
 奴隷の身分を返上したいものはいるか!?」

 待っていた時がやってきた。
 グループの四人とともに、自分とセナは前に出る。

 先頭に立っているシャクロワは今まで集めた分の魔法道具や探索用の魔法道具まで持ち出して、天樹会のメンバーにそれらを手渡した。

 

「――確か、これで一人分・・・ですよね?
 天樹会の方」

「ああ、そうだ。
 良く集めてきたな。
 約束通り、お前を地上に戻してやろう」

 二人の会話に、自分の耳を疑った。

 一人分だって?

「――おい! どういうことだよリーダー!!
 みんなで一緒にって言ってたじゃないか!?」
「……すまん」

 シャクロワは頑なに、こちらを振り返ろうとしなかった。

 グループのメンバーが狂ったように声を張り上げても、彼はただ謝罪の言葉以外は口にしなかった。

「ふざけないでよ! せめて探索用の魔法道具は返して!」
「これらの魔法道具はすでに我々天樹会が回収した!
 新しいのを見つけてくればいいだろう!」
「また手ぶらで深層に潜れってのかよ!
 今までよりもっと危なくなるってのに!」
「イヤなら、貴様らだけを永遠にここから出られなくしてやってもいいんだぞ!?」

 呆然としながら彼らの会話を聞いていると、突如としてすさまじい電撃が全身に走った。

 体内を無数の虫がのたうち回っているかのような苦痛にうずくまり、たまらず身を丸める。
 堅い地面の上でかろうじて目を半開きにすると、大きくブレ続ける視界で自分だけでなくセナやグループの三人も電撃を浴びているのが分かった。
 グループのなかで電撃を食らってないのはリーダーだったシャクロワ一人だけだった。

 以前よりもはるかに長い時間、全身を焼く雷撃に耐え続け、耐え続けて……ようやく終わったかと思うとシャクロワと天樹会のメンバーはすでに姿を消していた。

 

 肉が焼けるようなにおいを鼻に感じながら放心し、しばらくして気力を取り戻したらしいセナに背負われるのを理解した。

 彼女の栗色の髪越しに前を見ると、一緒に行動していたグループのメンバーたちも幽霊のように立ち上がり、互いに口を開くこともなく散り散りになっていった。

 

 ――足の感覚が戻ってきたので、ふらついていたセナに降ろしてもらい、互いに支え合いながら呂律の回らない口で他の奴隷たちにその後のことを聞いた。

 

 いわく、今回の『解放』でシャクロワを含めた五名が地上へ戻り……

 自分たちはさらに少ない人手と物資で、より危険な深層へと潜らなければいけなくなったのだと。