第百十七話 前とは違う姿で

 かなり状況が詰んできた。

 意識を失ったセナを置いて一人でダンジョンに向かうわけにはいかず、
 結果的として魔法道具を集めれないので、地上に戻るのがかなり厳しくなった。

 今までは深層に潜ってもどうにか魔法道具を回収できてはいたが、
 あの即死攻撃を繰り出してくる虫の魔物たち相手になんどもおなじ幸運が続く保証はない。
 ただでさえこちらは腕が片方折れてるかもしれないのに。

 いや、それよりいまはセナの治療のために薬を手に入れないと。

 もしほかに持ってるやつがいたらの話だが、攻撃してこない平和的な奴隷たちと交渉して……。
 ああでも交換材料に使えるのは魔法道具くらいしかないのか……
 くそ、堂々巡りじゃないか。

 彼女を抱きかかえたまま夜を明けた――といってもこんな洞窟のなかでは朝と夜の見分けもつかないわけだが――とにかくうまく回らない頭でぼんやりと思考のループの中を漂っていた。

 ……そういえば、さっき通りがかったほかの奴隷たちが「外部の冒険者がやってくるらしい」と話して話してたけど……。

 …………あまり期待はできないか。

 外からここに来られるってことは、天樹会の下についてる可能性が高い。
 たぶん口外厳禁という意味で金でも積まれてるはずだ。

 

 ――盗みをやろうと本気で思った。

 攻略に行ったらしいほかの奴隷たちのグループを見ていない間にやれば、いけるんじゃないか。
 脱出に使える魔法道具が見つかるかもしれないし、そうでなくてもなにかと交換はできるだろう。

 セナを静かに横たわらせてからその場を離れ、激痛の走る腕をなるべく動かさないようにしながら近くを注意深く歩き、ほかの奴隷たちの寝床を発見。
 魔法道具を探してみたが……すぐには見つからなかった。
 きっと別の場所に隠してあるのだろう。もしかしたら探索に持ってってるのかもしれない。

 しだいに自分のいまの自分の姿を誰かに見られるのが怖くなってきて、腕の激痛とひどく後ろめたい気持ちに背を押されるようにその場をあとにした。

 もといた場所に戻って横たわらせていたセナを抱きかかえ、彼女の体温を感じながらじっと闇の向こうを見据える。

 これで彼女になにかあったら、手段を選んで盗みをやらなかった自分のことを生涯恨むんだろうか。

 ほかの奴隷たちに頭を殴られたセナだが、いまのところは落ち着いているように見えた。
 苦しそうなうめき声もなく、頭部の出血はすでに止まっている。一見すればただ眠りこけているように見えるだけ。

 ただ意識だけが戻らない。

 仰向けで寝かせたセナの栗色の前髪をととのえ、
 泥で汚れた頬を親指でぬぐってあげながらため息をついた。

「……ああ……腹へったなあ……」

 おそらく一日に一度だけ行われる残飯の配給だけど、今日はまともに食べられなかった。

 飯場をのぞいてみたが、どうやら地下での序列上位らしい奴隷たちが力にものを言わせていて近づけさせてくれなかった。
 しかもその中に先日決闘者のことでふっかけてきたやつがいて、顔が覚えられているようだったのだ。結果まともに飯も確保できず、追い払われてしまった。
 初日にちゃんとありつけたのは運よくそいつらが深層に潜っていたからだったらしい。

 しだいに増していく胃袋の欠落感と、わずかに動かしただけで痛む腕。
 そして意識を取り戻すかどうかわからないただ一人の仲間を抱えて、苦痛の時をじっと耐える……。

 

「――おい、あれがA級冒険者だってよ……」
「なんだそれ……初めて聞いたよ」
「ダンジョン攻略の専門家らしい。
 天樹会がほかの国から引っぱってきたって……」

 ふと、声をひそめてささやく奴隷たちの会話が耳に届いてきた。

 視線をわずかに上げてみれば、たしかに向こうのほうにぼんやりとでかい影が見えるような気がする。

 やせこけた半獣人の奴隷じゃない。
 しっかり食べて身体も鍛えている大男だ。

 

 A級冒険者か……。

 ……いっそのこと、そいつが持ってる魔法道具でも盗んでやるか。

 A級ならば強い魔法道具も持っているはず。
 このままウジウジと座っているくらいなら、多少後ろめたくても行動しなければ……。

 そう思って視線を上げ、その冒険者の姿を認めた。

 

「あ」

 

 ……やがて、その大男はっきりとこちらと目を合わせ、
 驚きに眉を吊り上げてから「信じられない」といった面持ちで、ゆっくりと近づいてきた。

 

 

 

「――こんなところで何してんだ、スロウ」

 聞いたことのある声に目を見開き、
 俺はもう一度、薄暗い洞窟の暗闇にその大男の姿を確かめた。

 しわのできた顔だが、壮健で鍛えられた肉体。
 湾曲した黒い大剣を背負い、乱暴そうな口調で話す低い声に、
 肩の荷が下りていくような感覚を覚えずにはいられなかった。

 

「……デューイ……」

「……はあ……やーっと見つけたぜ……
 おいスロウ。なにか言いてえことはあるか?」

 しゃがみこんで目と鼻の先に近づけてきたそいつの顔は、確かに記憶のままだった。
 ちょっとだけ酒臭い息も、この状況じゃ呆れより先になつかしさと安心感のほうが上回った。

 セナのこととか、魔法道具のこととか、天樹会のこととか、いろいと不安に思っていたが。
 この時ばかりはそういうのを全部忘れて口を開いていた。

 

「……腹……減った。
 俺、腹へっちゃったよ。
 なにか食いもん、ない?」

 そう力なく笑うと、デューイはにやりと頬を吊り上げて鼻を鳴らしていた。

「へっ。なんだよ、ずいぶんみっともねえ顔だな。
 ほら、これで貸し一だぞ」
「……助かった……ほんとに」
「まったく……そういや、初めて出会ったときとは真逆の立場じゃねえか、ん?」

 ひげの生えた顎をさすりながらにやにやと笑う仲間の顔を見て、苦笑いがこぼれた。

 思えば、すべての始まりはそうだっただろうか。

 かつて飢えて野垂れ死にそうになっていたデューイに飯を食わせてあげたところから、この旅は始まったんだったか。
 そう考えたら確かに、前とは真逆の立場だ。

 受け取った干し肉にかぶりつき、異様にしょっぱく感じる塩味に眉をしかめながら、それでも頬に固い肉を詰め込んでいった。

「で、そこの嬢ちゃんは? 寝てるのか?」
「そうだ、デューイ、薬とかない? 目覚まさないんだ」
「おお? 確かこの袋に……ああ、包帯くらいしかねえな。
 つーかお前腕やべーことになってんぞ、折れてんじゃねえの? そっちが先だろ」

 その辺の湿った木片を拾い上げ、荒い手つきで包帯を括り付けて添え木を作ってくれたデューイが、今度はセナの頬を雑にぺちぺちやりながら「おーい、起きろ嬢ちゃん」と声をかけている。

 ほんとうだったら、もっと感動的な再会にしたかった。
 もっと明るい場所でお互いの顔を見合わせて、前よりもずっと成長した姿で、水の太陽と砂漠の大陸から生還したことを報告したかったけど……。

 けれどようやく、ようやく、セナと並ぶ大切な仲間のひとりと、こうして再会できたのだった。