やった、やったぞ。
エフィールに罪はないことが公式に認められた。
世界中の指名手配書のリストから彼女の名前が消えるのも時間の問題だろう。
今までのような、隠れ潜むような息苦しい生き方を彼女が無理に選ばされる必要もなくなる。
何より、エフィール本人が罪悪感に苛まれることが減っていくはずだ。
そのことが何よりもうれしかった。
くるりと振り返り、しゃがみこむ。
無罪判決を受けた当の本人は、まだ信じられないのか、ぽかんと間抜けに口を開けていた。
「……スロウ、あたし夢でも見てるのかしら。
こんな……こんなことって、ほんとに?」
「安心しろエフィール、ちゃんと現実だ」
音叉剣を取り出して、彼女の両腕に巻かれた厚布を切り解く。
両手が自由になってもまだ茫然としている様子だったので、
彼女の肩に手を置いて、視線を合わせた。
「ほら、俺の目を見ろ。
お尋ね者としての生活はもう終わりだ。
もう、顔を隠さなくてもいいし、街にも普通に入れる。
買い物も自由だ。
……顔を隠すためのそのフードは、もうつける必要は無い」
「すこし早計が過ぎますよ。スロウ君」
そこで視界から細長い影が割り込んできた。
先ほど判決を下したジャッジの男が、鍵を取り出してエフィールの足枷を外す。
「まず私がジャッジの支部に行って報告。
書類が受理されて、各地に知らせが届くまでは時間がかかります。
それまでは以前と似たような不自由な暮らしが続くでしょう」
「え、じゃあどれくらいかかるんですか? ヘンリーさん」
「何とも言えないですね……何しろ、前代未聞の報告になるでしょうし。
はぁ……まったく、我ながら無謀な決断をしてしまいましたよ」
「――ほんとに、ゆるしてくれるの?」
と、そこで子どものような声で呟いたのはエフィールだった。
目上の人間の様子をうかがうように、ヘンリーの顔を見上げている。
「……許してもらうのはこちらの方です。
今まで申し訳ありませんでした、エーデルハイドの魔人――。
いいえ、エフィール・エーデルハイド。
いわれのない罪を被せ、
あなたに長く危害を加えたことをお詫びさせてください」
「で、でも……」
「でもじゃない」
そこで彼は、はあ、ともう一度ため息をついた。
「まさかこんなに真面目な人物だったとは……。
とにかく、今後は自罰的な行為は控えること。いいですね?
せっかく拾った命です。
……自己犠牲などされたらたまったものではない」
最後の言葉を耳にした途端に、ぽろぽろと泣き始めるエフィール。
ああ、ようやく実感がわいてきたか。
涙を流し続ける彼女の背中をさすってやる。
ついでに赤い髪をなでていると、彼女が自分よりも年下だということを今更のように思い出す。よくもまあここまで耐えたもんだ。偉い偉い。
「……ちょっとだけいいかな」
と、横から気まずそうに話しかけて来たのはイズミルだ。
「えーと、返事とかはしなくていいんだけど……。
魔人事件のときに渡した魔法道具、あれ、返さなくていいからな。
ほんとうのことをみんなに話すのが遅れた分だと思ってくれ。
それだけだ」
「……イズミル。
ありがとう、助かった。
お前がいてくれなきゃエフィールの無罪は証明できなかった」
「別に。ずっと心残りだったことをやっただけさ。
……おい。
彼女のこと、ちゃんと守ってやれよ。
まだしばらくは『エーデルハイドの魔人』のイメージは消えないだろうし」
「ああ、もちろんだ」
「待って。
ありがとう……生きててくれて」
涙をぬぐいながらつぶやいたエフィールに、イズミルは「あなたが生かしてくれたんでしょ」とだけ言って背中を向けた。
「……スロウ。
あんたには、返しきれない借りができたわ」
「まったくだ。
もう一人で勝手に死にに行ったりするなよ」
「するわけないでしょ、バカ。
……」
と、急に黙ったエフィールを不審に思って、視線を合わせる。
ついさっき泣いたばかりの彼女の目じりは赤く、まだしゃっくりが微妙に止まっていない。
にもかかわらず、どこかぼんやりとした、けれど妙に揺るぎのない目でこちらを見つめてくる。
「……思えば、あたしが『エーデルハイドの魔人』だったときから一緒にいてくれたのは、あんただけだったわね」
「うん?
そうなる……のか?」
「…………」
思い返してみれば懐かしいものだ。
ベレウェルで敵対していた時には、こうなるなんて夢にも思わなかった。
あのときのエフィールの振る舞いを掘り返してからかってやろうと口を開こうとした。
その時だった。
「――おかしい……」
つい聞き逃してしまいそうなその声は、集まっていた聴衆たちの中から届いてきた。
先ほどのヘンリーによる無罪判決にどよめいていた人々の空気が、やがて変化を帯びはじめる。
「魔人事件の犯人を裁くための裁判だったのに、
なんで、こんな簡単にひっくり返ったんだ……?」
「どうしたんだよ。
あのジャッジがそう判断したんだぞ?」
「でも、相手は魔人だぞ?
水の太陽と同じ力を持った化け物だ。
そいつらに有利な方に転がるなんて、どう考えてもおかしい……」
それは確かに、人々の隙間から生まれてくる無数のつぶやきの一つだった。
けれどその一言が徐々に占有域を広げていく。
「だって、人を傷つける魔人よりも、傷つけられる人間のほうが悪いっておかしくない?」
「でも、あのエーデルハイドの魔人は悪くないだろ。少なくとも個人の話では。
魔法道具の暴走から研究所の人たちを守るために……」
「違うだろ。
もともとはエーデルハイド族の暴走が原因だった。
それを止めるためにあの娘がって話だった」
「じゃあ、エーデルハイド族が暴走したのはなぜ?」
――なにか変だ。
そう気づいてエフィールと一緒に立ち上がる。
裁きは終わったはずだ。
終わったはずなのに、まだ何かが続いている。
まだ、『真実』を暴こうとしている。
ひそやかに交わされていた会話が、次第に明確な議論へと発展していく。
その後の流れは自分には追えなかった。言葉の数が多すぎてどれがどれだか分からない。
そして、誰かが言った。
『ほんとうの真犯人』が、こうなるように仕組んだのではないか、と。
「――そうです。
こんな茶番劇など、どう考えてもおかしい!」
その瞬間、聞きなじみのある声が、場に響き渡る。
ツクだった。
口元に絡められたワイヤーをどうやってほどいたのか、痛々しい跡の残る唇を動かして民衆に訴えかけている。
あいつ……!!
「裏で操っている誰かがいる!
我々、人と魔人とが憎しみあうようになったのは、断じて私たちのせいではない。
その『真犯人』のせいだ!
誰かが私たちを分断するように仕向けていた。
すべての責任は、そいつにある!」
――直後、民衆たちが狂ったような歓声を上げた。
影でほくそ笑んでいる真の黒幕の存在を知覚した。
そう感じた人々の怒りが、どんどんと膨らんでいっているようだった。
魔人うんぬんの話だったはずなのに、いつの間にか
『魔人事件の真犯人はセトゥムナ連合をも食い荒らしている』
『決闘で奪われた資源がその真犯人のところに流れている』
という話まで聞こえてきた。
嫌な予感がする。
今もなお人々を扇動しているツクに顔を向けた。
「私たちは一丸となって立ち向かわなければならないのです!」
「あいつを止めなきゃ……!」
「私が捕縛します!」
ヘンリーさんが金属製のワイヤーを伸ばす。
しかしツクは扇の魔法道具を振り払い、生き物のように動く鋼鉄線を停止させた。
能力を無効化する魔法道具。
わずかにできた隙に、ツクがこれでもかと声を張り上げた。
「最も怪しいのはフラントール族だ!
やつらは空を飛ぶ舟という、伝説級の魔法道具を隠していた!
ほんとうの『真犯人』に通じているかもしれない!
これ以上やつらに好き勝手させてはいけない!
舟を奪って、やつらを弱体化しなければ――!!」
「やはり、こうなるか……。
仕方ないのう」
と、ふと聞こえた声に振り向いた瞬間。
残像が視界を横切った。
え、今の……。
もう一度ツクの方を見やると、そこには老人が立っていた。
彼の隣で誰かが血しぶきを上げて倒れこむ。
老人が振り払ったなまくらの剣で、ツクの身体は真っ二つに別れていた。
――ジェドがツクを切り殺した。