第百四十話 落としどころ

「儂を謀った罰じゃ、ツク。
 そのまま地獄に落ちるがいい
 ……貴様がこの世に残した実害は、儂が責任をもって後始末してやろう……」

 ジェドが剣を振り払い、血のしずくが赤黒い線になって土に落ちた。
 切り捨てられたツクはピクリとも動かなかった。

 全員が固まって老剣士の一挙手一投足を見ていると、
 誰かが、ふとつぶやく。

「あいつだ……。
 あいつが真犯人だ。
 ほんとうのことがバレそうになったから、慌てて殺したんだ……!」
「――ほう?
 よく気が付いたな、セトゥムナの民よ……」
「えっ」

 頭の中が疑問符でいっぱいになった。
 何を言ってるんだ?

『真犯人』だのなんだのは、ここにいる人たちの妄想のはずだ。
 なんで、わざわざ、人々が勝手に作り上げた虚像の枠に自分をあてはめるんだ?

「おい、どういうことだ?
 さっきまでエーデルハイドの魔人の弁護をしていた人だろ?
 自分の身代わりになってくれそうな相手の無罪を証明してた人が、真犯人だなんて……」
「それすらも計算のうちだったら?
 被害者をかばう立場だったら、疑われずに済む!
 あいつはそのために……!」

 シンと静まり返った場で、ジェドがにやりと笑いながら振り返る。

「そうだ、儂がやった。
 儂が、真犯人だ」
「――ジェド!
 あんたまさか、あたしの罪を全部かぶって……!」

 エフィールの言葉を聞いた瞬間、胸の奥が冷たくなった。
 事を収めるためにジェドは、いるはずのない『真犯人』の役柄を買って出たのだ。

 そしてその意味するところに気付いて、愕然とする。
 完全な自己犠牲。
 エフィールとまるっきり同じじゃないか。

「そもそも儂は、代理決闘者……。
 この国の半獣人でもない人間の男が、
 序列一位の決闘者だったことを誰も不思議に思わんかったのか?
 エーデルハイド族が暴走したのも、
 この儂、ジェドフェン・エーデルハイドがそうなるように手引きしたから……。
 おかげで儂以外の強者はついぞ現れず、序列一位の特権を味わい尽くせたぞ」

 芝居がかった口調に、人々は暗い想像力を搔き立てられたのだろう。

 おそらくは先行きの見えない生活に対する不満と不安や、理不尽な決闘ルールへの怒り、序列上位決闘者へ不平等なほどに集められる自分たちの食料や資源……。
 そうした負の感情が、みるみるうちにジェドへと集約されていく。

 やがて爆発寸前のわずかな一瞬に、ジェドは自分たちにだけ聞こえる声でささやいた。

「若いの、この場所に来い」

 何かを握らされたかと思った瞬間、ジェドはすぐさま走り出した。
 老人であることを疑いたくなるような俊敏さだ。

 ――それを逃亡と見なした人々が、まるで火山でも噴火したかのように叫んだ。

「逃げたぞ!! あいつをみんなで捕まえろ!!」

 怒号が広場を揺らし、民衆が一斉に動き出す。
 足音が土を踏み鳴らし、獣の群れのようにジェドのあとを追いかける。

「スロウ……!」
「ああ、わかってる! 一緒に追いかけよう!
 ヘンリーさんも!」
「もちろんです」
「ほら、早く行け!
 僕ができるだけ足止めしてみるから!」
「すまん、頼む!」

 ダメもとで人々の説得を試みるイズミルに場を任せ、三人で立ち去ったジェドを追いかけた。

 ついさっきジェドに握らされた紙切れを広げる。
 簡素な地図だった。数秒の間に走らせたような小さなものだ。

 そこに書かれていた印が、おそらくジェドが指示した場所だろう。
 すぐにその方向へ向かった。

 剣の能力で風をまとえば普通の人間よりも素早く移動できる。
 怒りに支配された半獣人たちがみるみる後ろに遠ざかっていくのを横目に、
 走りながらエフィールに声をかけた。

「エフィール!
 ジェドとは知り合いだったのか?」
「ええ……。
 アーシラロテ――あたしが使ってる大弓の先代の所有者よ!
 話したことはあんまりないけど、記憶の中のあいつを参考にして戦い方を学んだの」
「なるほど……。
 あっ、いた!!」

 合流はすぐだった。

 追いついた先で、ジェドは一人、洞窟の影のなかに立っていた。
 進行方向から後ろを振り向かないと発見できない場所だった。
 ここなら広場からそう遠くない距離でも見つかりにくいだろう。

 

「どういうつもり?」

 エフィールが問い詰めると、ジェドは待っていたかのように笑う。
 追手の足音が風のように遠くで響いていた。

「どうもこうもない。
 ただ、ああするのが一番じゃった」
「一番? 
 ジェド、とおっしゃいましたか。
 あなたは私が下した決断を、愚弄するおつもりですか。
 私がいったいどんな思いで彼女を無罪にしたか!!
 これ以上、冤罪での刑を増やすような真似は止めていただきたい!」
「では聞くが、つい先ほど扇動され暴徒化した民を説得することはできたのかね?」
「なに……?」

 怒りと困惑を必死に抑えながら聞き直したヘンリーに対し、老人は穏やかに笑った。

「ジャッジの若造よ。お前は優秀な男じゃ。
 事実を正確に理解し、正しい裁きのために、今までの行いへの評価をひっくり返すことができる。
 見事なまでの勇敢さじゃ。
 お主ほど精神的に強い者はそうそういないじゃろう。
 じゃが……この世界はまだ、お主ほどのレベルまで成熟していない」

 責めるような視線でにらんでいたヘンリーが、息を詰まらせる。
 ジェドの言葉はどこか柔らかく、子どもに諭すようでもあった。

「世界を正しく認識できるのは余裕のある者だけ。
 そして今の世界はそこまで豊かではない。
 ほとんどの者が、日々を生きるのに精いっぱいのはずじゃ。
 どれだけ間違ったことだったしても、この国の者たちは、誰かをいけにえにしなければ怒りの矛を収められん。
 それが良いか悪いかという話ではない。
 ただ、そういう世の中だというだけじゃ。
 なら……どこかで現実と折り合いをつけねばならん」
「……その折り合いの付け方が、あなた個人が罪をぜんぶ被ることだと?」
「儂のような老いぼれのほうが適任じゃろ?
 未来のある若者が犠牲になるよりは」
「……」
「というわけじゃ。
 ジャッジの若いの。
 すまんが儂の首を使って、事を収めてくれ」
「しかし!
 罪のない者を裁くわけには!!」
「このままだともっと多くの民が犠牲になる」

 歯ぎしりする音が聞こえた。

 俺にはジェドの言わんとしていることが分かった。
 今のままじゃ、魔人との衝突も、「犯人捜し」も、終わらないだろう。
 失われるのは何人、何十人という数ではない。

「お主なら、止められるじゃろ?」

 と、老人が笑う。

「それに……儂の命もそう長くはもたん。
 もうすぐ寿命が来る。はっきりわかる。
 いままでずいぶん戦ってきたしの。どちらにせよ頃合いじゃ」

 てこでも首を縦に振らなかったヘンリーが、やがて何も言わず背を向けた。
 それを了承ととらえたらしいジェドが、感謝するようにつぶやいた。

「良い子じゃ」
「待ってよ……。
 またあたし一人が生き延びたら、どんな思いで暮らしていけばいいのよ……!
 ねえ、スロウ! あんたも何か言ってやって!!
 なにか策があるはず、でしょ?」
「……」

 赤髪の少女に懇願されたが、俺は沈黙した。
 すでにジェドが自らを黒幕だと公言してしまった以上、できることはない。
 おそらく暴徒化した民衆のなかには、話を広場の外に広げている者もいるだろう。
 手遅れだ。

「……エフィール。
 すまんかったのう、今まで一人にさせて。
 孤独な夜を何年も過ごすのは、きっと辛かっただろう。
 暴走した挙句、お前に呪いの言葉を浴びせて死んだエーデルハイド族の者には、儂が向こうで叱っておくからな」

 骨ばった両手を肩に置かれたエフィールの目が涙ぐむ。
 かつて異様な殺気をにじませていたはずの「赤髪の剣鬼」は、普通の優しそうな老人の表情で同じ髪色の少女と向き合っていた。

「もしどうしても負い目を感じてしまうのなら、
 その分は、儂以外のほかの誰かに返してやりなさい。
 これから先の人生、お前の力を必要とする者はきっとたくさん現れる。
 過去に囚われているヒマなどないぞ」

 泣きじゃくりながらもしっかりと頷いたエフィールを見て、ジェドは「よし」と彼女の赤い髪を愛おしそうに撫でた。

「……小僧。
 エフィールのこと、頼んだぞ」
「……」
「ああ、それと。
 あとで必ずエフィールをこの場所を連れてってくれんか」

 説明された場所は、セトゥムナ大森林の北側。
 僻地の草原だった。
 なんで、とは思ったが、今までよりも数段増しで真剣な様子だったので、一言一句違えずに場所を覚えた。

 国境ギリギリの場所に、いったい何があるというのか……。

 

 ――それから数年後に、魔人事件の真相が語られるようになった。

 セトゥムナ連合国における序列一位の決闘者、ジェドフェン・エーデルハイド。
 彼が魔人事件の首謀者だと判明。

「より厳粛な裁きの場を」と求めたジャッジ部隊所属、
 ヘンリー・グレイフォランがこれを護送し、
 セトゥムナ連合から宗教国家アストラへの道中で、老衰による死亡が確認された。

 報告ではたびたび襲撃を受けたことにより護送期間が延びたとされているが、詳細は不明である。

 今まで犯人とされていたエフィール・エーデルハイドは被害者とされ、同人物の指名手配を解除。
 主犯のジェドフェン・エーデルハイドの影に隠れる形で、その少女は世間からの関心を逃れるようになっていった。