第二話 代弁するもの

 村の中でもひときわ大きい建物からは、酒の匂いがする。
 きっと村人いきつけの酒場なのだろう。つくりは他の建物よりも頑丈で押してもびくともしない。
 これほどの耐久力なら魔物が押し寄せたときの砦にもできるだろう。

 秋の夜は肌寒いからか、木窓はすべて閉じられている。
 それでも普段であれば中からは楽しそうな声が聞こえてくるはずだが、今日だけは違った。

「実は、先ほどこのオレ様は危うく飢え死にするところだったんだがな、
 スロウってやつに助けてもらっちまった」

 酒場の真ん中で、大柄な男、デューイが村人たちと交渉していた。
 不信感に満たされた目を向けられながらも、デューイは余裕の笑みを崩さなかった。
 ニヤニヤと笑いながら無表情の人々に話し続ける。

「だが聞いた話によると、この村はずいぶん厳しいんだって?
 そんな中で世話になったままってなりゃあ名折れだ」

 デューイはポケットに手を入れて、あるものを取り出した。

「金貨一枚」

 テーブルの上に置かれた金色のコインはまばゆい光沢を放っていた。
 村人たちの目が開かれる。

「ふふん、これでもオレはA級の冒険者だからな。
 少し手痛い出費だが、まあ、男としてここは――」
「腹立たしい」

 デューイの言葉をさえぎったのは、村長だった。
 敵意をむき出しにした発言に、場の空気がピリつく。

「デューイ君、君はこう言いたいのかい?
 『金貨一枚でこの村は潤った。他ならぬスロウのおかげで』って。
 あんな役立たずを認めるなど……言語同断だ!」

 村長の手によって、金貨が放り捨てられる。
 デューイから笑みがスッと消えた。

「へえ、大金を放り捨てるとは、思い切ったことをするじゃねえか。
 村を守りたい、と言っていたはずだが、お前らが本当に守っているのは何だ?
 自分たちのプライドか?」

 村人たちは無言でデューイを取り囲んだ。

「こっちの方が数は上だ」

 空っぽになった酒瓶が、デューイの頭めがけて振り下ろされた。

 一方その頃。

「デューイのやつ、どこに行ったんだ!?」

 片付けを終えて村長の家まで行ってみたが、あいつがいる様子は無かった。
 話をつけてくる、とは言っていたが、どこに向かったのだろうか。

 と、通りがかった酒場から話し声が聞こえる。

「……ここか」

 デューイのように無骨な男はなんとなく酒が大好きというイメージがあった。
 村長の家にいないのなら、十中八九ここだろう。

 だが様子がおかしい。
 酒場自体のつくりが頑丈なことに加えて、閉じられた木窓のせいで中の音がくぐもって聞こえるのだが、怒声のようなものが混じっていたのだ。

 スロウは正面まで回り込んで、出入口となる大きな扉を少し開けて様子をうかがう。

「――くそっ、反撃してこないなんて、馬鹿にしてるのか!?」

 デューイが、頭から血を流したままそこに立っていた。

「何やってんだあいつ……!」

 扉に背中を当てるように隠れながら耳を立てる。
 何やらただごとではないようだ。

「ふん、恩人の顔に泥を塗るような真似はオレの主義に反するからな」

 堂々とその場に仁王立ちしながら、こともなげに言ってのけるデューイ。
 息を上げている村人たちを尻目に、彼は言葉を続ける。

「しかし解せねえ。お前ら、スロウの何が気に食わない?
 いいヤツじゃねえか、あいつ」
「いい奴だって? はっ。デューイさん、あんた何も分かっちゃいない。
 そりゃ、俺たちだって最初は仲良くしようと思ったさ。
 けどな、俺たちとまともに関わろうとしないのさ、あいつは」

 村人の一人が口にした言葉を聞いて、スロウは身体が固まった。

「『故郷に帰りたい』?
 記憶喪失だかなんだか知らないが、村でうまくやっていけないからってすぐに弱音を吐きやがって。
 まるで俺たちが悪いみたいじゃないか!」

 心臓がキュッ、と冷たくなった。
 罪悪感が、顔を出す。

 彼らは本人が扉一枚隔てた先で聞いているとはつゆ知らず、陰湿な言葉を吐き続けた。

「正直、あいつがいない方が気が楽だね。
 だって何考えてるか分からないから」

「役立たずのくせに、愛想まで悪いときたもんだ。どうしようもないよ」

「一人でかわいそうなんて言うかもしれないが、向こうが望んでるからその通りにさせてやってるんだ!」

 …………。
 そうさ。
 誰かと一緒にいるくらいなら、いっそのこと――。

「あのガキは、どこにも居場所を作れない臆病者だ!」

「違う!!
 スロウは居場所を作れなかったんじゃない!
 この村の空気がスロウに居場所を作らせなかったんだ!!」

 デューイは吠える。
 その場の誰よりも強い声で。

「お前たちに、周りと溶け込めなくて孤立したやつの気持ちが分かるか!?
 居場所が欲しくて努力した者の気持ちが分かるか!?
 たった一度でもそいつらの言葉に耳を傾けたことがあるか!?」

 耳にしたその声に、スロウの呼吸が深くなる。
 こんな言葉を、どれだけ求めていただろうか。

「スロウは誰かの役に立ちたがっていた。
 そのために行動もしたはずだ!
 その善意を無下にして『役立たず』とは何様だ!!
 自分たちを基準にして考えることしかできないお前らごときが、スロウの価値を決めつけるな!!

 わずか数秒の出来事だ。
 そのわずか数秒だけで、一年間のささやかな努力が報われた気がした。

 すなわち、『自分は間違っていなかった』のだと。

「居場所を奪う人間に居場所を語る資格はない。
 文句があるやつは全員まとめてかかってこい。
 オレがボコボコに叩きのめしてやる!」

 村人たちと明確に敵対するデューイ。
 スロウは扉の先を見る。
 その大きな背中が、どれだけ頼もしかったか。

「貴様……!
 もうただではおかんぞ!」

 しかし、自体は急変する。
 村長がついに剣を取り出した。
 正真正銘の、切れ味のある真剣だ。

「うるせえ! とっととかかってこい!」

 対するデューイは素手のまま。
 背中に背負った曲剣は使おうとはしない。

 村長が剣を構えて突進。

 スロウは扉を開け放ち、切れない剣を握りしめて全力疾走する。

 そして、デューイめがけて振り下ろされた直剣が――。

「何!?」

 ――間に入ってきたスロウの剣によって阻まれた。

「――ハッ! 遅かったじゃねえか、スロウ!」
「ぐっ……重っ……!」

 真上から叩きつけられた衝撃が、剣越しで身体に伝わる。
 さらに今まで避けてきた周囲からの注目を浴びることで、手から力が抜けそうになる。

 それでも。

「俺だって……!
 奴隷みたいに使われるのはもう嫌だ!!」
「どいつもこいつも……!」

 怒りが頂点に達した村長は、スロウの剣が切れないことを利用して素手で思い切りつかみ取り、剣を遠くへと放り投げる。

「全員でこのよそ者たちを排除しろ!」

 酒場での乱闘が始まった。

 剣を失ったスロウは酒場のイスを持ち上げて応戦するが、体格にめぐまれていないためにいくつも反撃を食らう。
 デューイはさすがというべきか、来る敵はみな拳で沈めている。

 スロウの攻撃力の低さを、デューイがカバーして少しずつ相手を倒していく。

 だが。

「スロウだ! スロウだけを狙え!」

 村人たちが戦い方を変え始めた。
 明らかにデューイよりも弱いスロウを標的にしたのだ。

「痛っ……がはっ!」

 前からだけでなく後ろや横からも殴られ、全身は腫れあがったかのように熱い。
 唇をかんで出血してしまい、それを見た村人たちはスロウが吐血したと勘違いしてさらに攻撃の勢いを強めた。
 顔面を打たれて、何度も意識を失いそうになる。

「ちっ、面倒くせえ……!」

 デューイはスロウを援護するために無理やり攻撃を加える。
 しかし、そうするとデューイも背後からの奇襲を受け、被弾する回数が多くなっていった。
 さらに、この中で唯一真剣を持っている村長が常に狙っているため、デューイはさらに動きづらくなる。

 デューイは確かに強い。
 だが、直情的で、目の前の相手に夢中で突っ込んでしまう。

 露骨に一人だけを袋叩きにする村人たちに、二人は守りに入らざるを得なかった。

 このままではジリ貧だ。

 何か、使えるものはないか……!
 今、自分たちが持っているもので、この場を切り抜けられるものは……!

 そして、『それ』は見つかった。

 ボロボロの状態でどうにか村人たちを押し戻し、デューイにだけ聞こえるように痛む唇を動かした。

「デューイ、作戦がある。――」
「――へえ、分かったぜ」

 突然、デューイは村長の方向へ突進を始めた。

 驚き、剣を構える村長。
 そしてこの村での立場がある人々は、その間に入らざるを得ない。

 その隙にスロウは別方向へと駆け出し、あるものを拾いあげる。

「デューイ!」

 呼び声がかかった瞬間にデューイはあっさりと突進をやめて、スロウの位置まで後退。

 そして、|耳《・》をふさいだ。

 不思議そうな顔をする村人たち。
 スロウはその前に立ち、この場を切り抜ける『武器』をかかげる。

 まるで真ん中の一本が抜けたフォークのように、刃と刃の間がきれいに除かれた剣を。
 ほのかに銀色の発光を始めた、その魔法道具を。

「っ、それは……」

 そうだ。

 この村唯一の、隙間のない頑丈な酒場。
 秋の寒さをしのぐために窓も扉も閉じられた、密室状態。

 そして、音を生み出す魔法の剣。

「まさか……!」
「今までずっと黙っていた分だ……!
 『よそ者』の叫びを聞いてみろ!!」

 とっさに剣を奪おうとする村人たち。
 だが彼らよりも圧倒的に早くそれを振り下ろし……。

 ギイィィィィン!! とすさまじい爆音が、すべてを支配した。

 家で発動したときとは桁違いの轟音が鳴り響き、
 腹の底の内臓までが揺さぶられる。
 その威力はデューイでさえも黙らせるほどだ。

 酒場にいた人間はみな動きを止めて必死に音の衝撃に耐えるが、
 一人、また一人と気絶して倒れていく。

 スロウの手元でいまだ鳴り響くその剣の。
 抑圧されてきた者の怒りを代弁する咆哮が、窮地を脱する切り札となった。