「しかしまあ、めずらしいもんだ。魔法道具が好きな半獣人なんて」
夜、ギルドから少し離れた場所にある宿屋で、スロウとデューイはそれぞれのベッドに寝転がっていた。
奴隷商人オドンに取引を持ちかけられた後のことである。
結局セナは、少し一人にさせてください、と、宿に向かっていってしまった。
しばらくその場にいた後、気持ちを切り替えてデューイを探そうとしたスロウだったが、実は案外すぐに見つかった。
その経緯について説明は控えるが、とりあえず、人目を気にするように道端の影に隠れている大男は目立ちまくりだった、ということだけは伝えておこう。
「そんなにめずらしいのか?」
話は戻り、魔法道具を好む半獣人――セナについてである。
デューイは両手を後頭部の下に置いて枕にした。
「ここアストラ国にいる半獣人のほとんどは、奴隷として連れてこられたやつらでな。
そいつらが奴隷になったきっかけが、魔法道具なのさ」
……あまりピンと来ない。
首をかしげるスロウを見て、デューイは深く息を吸って言葉を探し始めた。
「そうだなぁ……冒険者産業が盛んになって、国が発展してきたって話は覚えてるか?」
「ああ」
確か、この街に到着する直前に聞いたような。
水の太陽が現れて、冒険者稼業が人気になってきたとか、そんな話だったはずだ。
「発展してきたっつうことは、必要な労働力もさらに増えてくるんだ。しかも水の太陽による被害もあるからな。今のアストラは、圧倒的に人手が足りない。
そこで、外国から仕入れてくることにしたのさ。奴隷だよ」
デューイは右手を取り出して、人差し指をくるりと回す。
普段から大剣を握りしめ、振り回すための図太い指が、軽やかに円を描く。
「セトゥムナ連合国――その嬢ちゃんの来たところだな、いろーんな種族が寄り集まってできた国なんだが、当然、種族間での対立もある。
それに目をつけた聖騎士どもが、セトゥムナの中でも力のある一族に取引を持ちかけたのさ。
『魔法道具と奴隷を交換しませんか?』つってな」
……なるほど。
『物』と『人間』の等価交換か。
「取引は成立。
アストラは労働力を手に入れ、セトゥムナではごく少数だけがさらに力を得る。
たぶん今でも、半獣人たちの間で奴隷狩りが行われてるだろうな」
思いのほか救いのない結末――否、現実だ。
聖騎士サマってのはずいぶんと清く正しいやつらだよな、と皮肉ったデューイの言葉は誰に聞こえるともなく虚空に消える。
「勝手に連れ去られてきた半獣人たちにとっちゃ魔法道具のせいで人生が狂ったようなもんだから、普通ならそういうもんに否定的なんだよ」
そうか、それでセナのような半獣人は珍しいのか。
確か本人も、魔法道具に好意的なのは自分の一族だけだと言っていた。
おそらく彼らは、半獣人たちの中では唯一の例外なのだろう。伝統的に魔法道具を受け継いできて、やがて奴隷狩りが行われるようになって。
その原因が魔法道具であると判明したとき、彼らは何を思ったのだろうか。
「……どうにか、セナも冒険者になれないかな?」
少なくとも、彼女の情熱は本物だ。そう確信できるくらい、スロウの心に響くものはあった。
もしも自分が同じ状況に置かれたなら、自力でどうにかできる自信はスロウには無い。
だからこそ、できるなら力になりたいのだ。
「……」
デューイは黙っている。
スロウは訝しげに思うが、特に気にしなかった。
どうせ自由奔放なやつなのだから、今更気にするまでもないだろう。
しかし、さすがに予想はできなかった。
「お前惚れたのか?」
「ぶ、っふ……!」
盛大に噴き出したスロウを見たこいつは、口元を大いに歪ませる。
「ほーう、そうかそうか」
「違うって!」
憎たらしい男だ。
ひゅーひゅー、とはやし立ててくるのが妙にうざったい。
「そんなんじゃない。ただ、友達が困っている時に何もできないのが嫌なだけだ」
「ハッハ、まあ頑張れよ。
だが、あまり考えすぎない方がいいと思うぜ。
お前は、周りのことも自分のことだと考える癖があるからな」
そこがお前の良いところでもあるんだが、とあぐらをかくデューイ。
「そういうのはいつか自分の身を滅ぼすぞ」
「……それで、どうなんだ? 答えはまだ聞いてない」
元の話に戻ろう。セナは冒険者になれるのかどうかだ。
「契約書に書いてあるだろ? 条件とか確かめてみろよ」
「読めないんだ」
ポケットから取り出した紙をひらひらさせる。
ずっと持ち歩いていたせいでしわくちゃになっていた。
「何だよ、意外だな。てっきり文字くらい知ってるもんかと思ってたぜ。
どれ、ちょっと貸してみな」
当然のように紙を渡したが、ここでふと疑問が浮かぶ。
あれ、そういえばデューイは文字が読めるのか?
少し期待しながら見守っていると、ついにその口が開かれた。
「んー……めんどくせ」
契約書が放り投げられる。
「ちょ、ちょっと!」
「登録しなくてもいいんじゃねえ?」
「え」
耳を疑った。
目の前の男が何でもなさそうな顔をして言ったことも、それに拍車をかけていた。
「ばれなきゃ問題ねえだろ」
さらりと言いやがったぞ、こいつ。
「いや、でもそれって、ありなのか?」
「聖騎士団にバレたらまずいな。それなりにペナルティはあるが……。
まあ大丈夫だろ」
信じられない。
デューイだけならまだしも、スロウやセナまで聖騎士団に追われるなんてことがあったらどうなってしまうのか。ただでさえまともにこの国のことも知らないのに。
こんな意見がまかり通っていいわけがない。
もっとこう、何というか、正しい道があるはずだ、だから……。
翌日。
「本当に来ちゃったよ……」
「あの、私まだ冒険者登録してないんですけど、これって大丈夫なんでしょうか……?」
結果、デューイの案は採用された。
横で不安そうな顔をしているウサ耳の少女は、もちろんセナだ。
時は少しさかのぼる。
夜が明けた後、ダメもとで冒険者ギルドに行ってみると、見るからに意気消沈していたセナが一人でテーブルに座っていたのだ。
それを見かねたスロウだったが、おもむろにデューイがずかずかと近づいていって、「セナっていうのは嬢ちゃんのことだな、よし行くぞ」と首根っこを掴んで連れてきやがった。
さながら拉致の現場である。
当然ながらセナも混乱していたが、スロウを見るとばつの悪そうな顔をしつつ、少しほっとしたような表情を浮かべていた。だからこれは拉致ではなかった、と思いたい。
もちろん、道中で自分たちがダンジョンに向かっていることは伝えてある。
「ダンジョンに入りたいんだろ? 連れてってやるよ」とはデューイの言葉だが、この状況だとお世辞にも頼もしいとは言えない。たぶん違法だし。
そのことをセナも理解しているはずだが、なんだかんだで付いて来てしまったし、今更引き返す空気では無かった。
というわけで現在、セナを含む三人は、いつの間にかカーラル南西部のダンジョン前に立っていた。
付近にはキャンプが一つ建てられており、そこから少し離れて、明らかにそれっぽいダンジョンの入口付近で一人の銀色の騎士が退屈そうにあくびをしていた。おそらくあれが聖騎士というものだろう。
キャンプ内部に目をやると、数人の聖騎士たちがカード遊びに興じている。その横に書類らしき紙の束が積まれているが、本人たちは気にした様子もない。
既に仕事は終えているのか、それともただ怠けているのか。
たぶん後者だろうなと思った。
ダンジョン入場を前に、この一連の出来事の首謀者であるデューイは悪びれもせずにセナに右手を差し出す。
「自己紹介がまだだったな。デューイ、A級冒険者だ。よろしく頼むぜ、嬢ちゃん」
「あっ、セナです。よろしくお願いしま……え!? A級!?」
不安げな表情から一転、驚愕の色に染まるセナを尻目に、デューイは門番の騎士のところにずかずか近づいていった。
「いよう、お疲れさん。
オレの連れだ、通るぜ」
「お待ちください! 冒険者証と魔法道具の提示をお願いします」
無許可の探索は違法ですよ、と立ち上がった聖騎士は槍を傾けた。
やれ規則違反だの、やれジャッジに捕まるだのと、暗記してきたかのような口調だ。
「あーそんな堅苦しいこと言うなよ。面倒くせえだろ?
とりあえずオレの剣だけ記録しとけよ」
強引に警備兵の肩に手を回すデューイ。
さりげない様子だったが、影で硬貨を数枚、渡していた。
「……それもそうですね。では、お気をつけて」
さっきまでの剣幕はどこへやら。あっさりと道を譲った門番に新米二人は拍子抜けした。
「す、すごいですね、デューイさん。
さすがA級冒険者です!」
「ふん、まあな」
賄賂を受け取った門番に目をやると、彼はキャンプの方を気にしながら鎧の隙間に硬貨を忍ばす。慣れた手つきだった。
この世界に秩序は無いのかもしれない。
そう悟りながら聖騎士の横を通り過ぎると、目の前には深い暗闇が口を開けて待っている。いよいよだ。
「けど、本当にこんなことしてて大丈夫なんでしょうか……?」
「――嬢ちゃん。未来のことばかり考えて今を犠牲にするのもどうかと思うぞ」
めずらしく深そうな言葉を発したデューイは、もう何でもないような顔をしていた。
後ろでおどおどしていたセナはその言葉を受けてハッとし、決心したように先頭に立つ。
上出来だ、と言わんばかりに口元を歪ませるデューイ。
いや、なんかいい流れっぽくしてるけど、違法だからね?
まだ冒険者じゃないし、しかも賄賂でダンジョンに入るってたぶんダメだからね?
こうして、決意に満ちたウサ耳少女と、ニヤニヤ笑うおっさんと、先行きに頭を悩ませる青年の三人組が、暗闇に足を踏み入れたのだった。
「おや、そうか。半獣人はダンジョンに向かったか」
中都市カーラルの、どこかも分からぬ場所にて。
奴隷商人オドンは、猫耳の奴隷から報告を受けていた。
「正規の冒険者と共に? ……ふむ、予想外だな」
聞いた話によれば、取り巻きが二人、あの半獣人についているようだ。
あの娘はカーラルに知り合いなどいなかったはずだ。おそらくは昨日一緒にいた金髪のガキだろう。仲間を呼んできたか。
娘の正体を暴いて、不信感を植え付けてやれば勝手に離れると思っていたが……。
あごを撫でながら黙考していたオドンは、しかし、ふいに口元をニヤリと歪ませる。
彼の手元にあったのは、冒険者登録の契約書。
その中の一文に、目を通す。
『冒険者でない者は、ダンジョンに入ってはならない』
そう、セナ・フラントールは冒険者ではない。
やつは今、どうやったかは知らないが、違法にダンジョンに入っているはずだ。まあおそらくはその冒険者の入れ知恵だろう。
そこで妙案を思い付いた。
取り巻きの二人を殺してしまえば、後に残るのは、違法探索をしていた半獣人の娘一人だけ。
規則違反が明るみに出れば、やつは捕縛される。
そこを私が……。
さも愉快そうに肩を揺らす男を見て、そばについていた猫耳の少女は顔に暗い影を落としていた。
「よし、切り札を使うとするか」
背後に置かれた檻を見るオドン。
その中には、やせ細った小柄な少年がうずくまっていた。
薄汚れた服に、禍々しくうねった木製の首輪が装着されていた。
首輪は少年の細い首には合わない大きさであるにも関わらず、外れる様子は無い。
そして暗がりの中で鮮明に浮かぶ、血のように鮮やかな、真紅の瞳。
「『魔人事件』の犯人は、水の太陽と同じ重力魔法で、何十人という同胞と聖騎士たちを皆殺しにしたという。
……その悪魔の力を見せてみろ」
禍々しい首輪の一面に、ルーン文字が怪しく輝く。
「取り巻きの二人を、殺してこい」
開け放たれた檻の中から、一匹の猛獣が飛び出した。