第六話 十六から十二時間前

「どうしました!?」

 緊迫した様子を見て、スロウは危機を察知する。

「西南に魔物がいる。こっちにまっすぐ向かってくるぞ。
 ここからでも見えるくらいでかいやつだ」
「魔物が……!?」

 スクルナを出て以来、自分はまだ魔物と遭遇したことがない。今回が初めてだ。

 急いでその魔物が見える場所まで移動する。

 柵の向こう、遠くの方に見えたのは筋骨隆々とした青黒い肉体に、いかにも狂暴そうな狼の頭を持った巨人だ。
 まだ遠くにいるため正確には分からないが、体長が二、三メートルはある気がする。
 赤茶色のサビで覆われた大剣を身体の横に構え、白い息を絶えず吐きながらゆっくりとこちらに歩いてくる。

「フシャクピトスか。なんでこんなところにいやがる?」
「デューイ!」

 いつの間にか旅の相棒が横に立ち、額に手をかざして目を凝らしていた。

「しかもありゃあ、狂暴化してんな……。
まあいい。ここはオレ様に任せろ」

 事もなげに手を振りながらスタスタと魔物の方向に歩いていくデューイ。
 その後ろ姿を見て、村の人たちは心配そうにささやき始めた。

「おい、一人で大丈夫なのか?」
「でも自信はありそうだったけど……」

 確かデューイは冒険者だったはずだが、それでも一人であんな巨大な敵を倒せるのだろうか。
 徐々にスロウも心配になってきた。

「ちょっと、俺もついていきます」

 いてもたってもいられなくなり、小走りでデューイのもとに寄っていった。

「なんだ、お前も来たのかよ」
「だってデューイ、スクルナの人たち相手に苦戦してたじゃん。心配でさ」
「お前喧嘩売ってんの?」

 相手の魔物もこちらに気づいたらしく、ズシン、ズシンと地面を鳴らしながらまっすぐこちらを見据えて近づいてくる。
 スロウは自分の心臓がより早く鼓動していることに気が付いた。

「オレは格闘術は知らねえんだよ。殴り合いは専門じゃねえ」

 デューイは背中の大剣に手をかける。

「だが、今回は『断切たちきり剣』が使えるからな」

 背負っていた大剣を前に取り出すデューイ。剣を包んでいた厚手の布をほどき、その刀身があらわになる。
 デューイが『断切剣』と呼んだそれは、剣先が上を向くように湾曲した片刃の曲剣だ。分厚い刀身と握るための柄だけで構成された無骨な外観で、装飾などは一切施されていない。濡れたような仄暗い刃にはうっすらと赤黒いサビがこびりついているが、特に切っ先の形状は何とも言えない美しいカーブを描いており、素人でもたぐいまれな名剣であると理解できた。
 よく見ると根元に幾何学模様が刻まれている。これも魔法道具か。

 デューイがフシャクピトスと呼んでいた魔物はもう目の前だ。
 敵が一歩、一歩と進むたびに地面が揺れる。
 威圧感につぶされそうだ。

「いい機会だ。オレ様の腕前を見せてやろう。下がってな」

 デューイは右手に大剣を持ったままで、特に構えることもゆったりと歩く。
 スロウも念のために音を鳴らす剣を抜剣して、後方に待機しておく。

 デューイは完全に相手の間合いに入り、フシャクピトスを見上げるようにその場に立った。

「相変わらずでけえ図体だなあ」

 呑気につぶやくデューイは、まだ剣を構えない。
 ハラハラしながら様子を見守る。

 スロウがまばたきをした瞬間、狼面の魔物はいつの間にか赤黒く錆びた大剣を振り上げていた。

「危ない!」

 直後、大地が割れるような衝撃と共に土草が舞い上がる。

 どうなった?
 必死に目を凝らし、その先を見ようとする。

 土ぼこりの中で先に動いたのは、狼面の魔物。
 しかし、様子がおかしい。
 バランスを崩したかのように巨体がよろめいている。

「こいつと戦うときはコツがあってな。
 まず腕を落とす」

 土ぼこりが晴れた。
 そこには、さっきまでと変わらずただ立っているだけのデューイと、右肘から下を失った魔物がいた。

 状況を理解した。
 デューイは最小限の動きで攻撃を躱し、カウンターでフシャクピトスの片腕を断ち切ったのだ。

 切り離された魔物の腕は錆びた大剣を握ったまま落ちる。
 右腕と武器を同時に失った魔物は焦ったようにもう片方の拳を振りかぶった。

「次に脚」
 瞬間デューイはさらに前に踏み込み、流れるような動作で回転切り。
 巨人の股の下を通過しながら、その両脚を切り落とした。

 青い巨体が重い音を立てて地面に落ちる。
 狼面の魔物には、もう左腕しか残されていなかった。

「這いつくばったら、向こうから首を差し出してくる」

 フシャクピトスは目の前の敵に一矢報いようと、大口を開けてかみつこうとした。
 しかしデューイはその大柄な身体に見合わぬ軽快なステップでそれを避けると同時に、分厚い曲剣を振りかぶる。ちょうど、魔物の首を直角に切り落とせる位置に立っていた。

連想したのは、断頭台の処刑人。

「そこを狙う」

 地面を力強く踏み込み、一瞬の溜めの直後、曲剣が振り落とされる。
 ズダン、という音と共に狼面の首が転げ落ちた。

 その首についた二つの眼は大きく見開かれていて、驚愕の色に染まっているようだった。
 自分が死んだことを信じられないまま、絶命しているみたいだ。

「ま、ざっとこんなもんよ」

 唖然とするスロウ。

 デューイはそんなスロウの反応を見て、満足そうにグハハハハ、と笑った。

 村に戻った後、デューイは歓声を受けた。
 どうやら村からでもデューイの戦いっぷりが見えていたらしく、人々は興奮していた。
 デューイはまんざらでもなさそうな様子だったが、その後に真剣な表情でハリウと何かを話していた。

「スロウ、明日にはここを発つぞ」

 夜、断切剣の手入れをしていたデューイが唐突に言った。
 フシャクピトスと呼ばれる魔物が討伐されてから数時間が経ち、二人はミスフェルの宿屋で休んでいるところだった。

「いきなりどうしたんだよ、デューイ。もっとゆっくりしてもいいじゃないか。
 せっかく村の人たちと仲良くなれたのに」
「どうにも嫌な予感がしやがるんだ。
 さっきハリウに聞いたんだが、近くにダンジョンもないってのに、狂暴な魔物が出てくるなんて妙だ」

 デューイは厚手の布を剣の刃に巻き始める。
 手慣れた様子だ。

「魔物が出てくるのは普通じゃないのか?」

 世の常識に疎いとはいえ、魔物がよく外を徘徊していることくらいは知っている。
 先ほどの狼面の魔物とまではいかないが、自分だってスクルナ村で魔物と戦ったことはあるのだ。
 もちろん危険度の低い相手だったが。

「フツーと言えばフツーなんだが……」

 だが、うなるデューイは今日の事件に納得していないようだ。
 しばらく考え込んだあと、面倒になったのか、剣をその辺の壁に立てかけて伸びをした。

「とにかく、今のうちに準備しとけよ。朝には出ていくからな」

 デューイは荷物を手際よくまとめて部屋の隅に置き、寝台に入ってすぐにいびきをかき始める。

 せっかく剣の話をしようと思ったのに。
 まあ、明日でも大丈夫か。まだ時間はある。

 自分も身体を横にして、目を閉じた。