休憩が終わって、三人はまたダンジョンの中を歩いていた。
スロウが見張りに行った時は魔物の気配などまったく感じなかったし、探索を再開した今もそれは変わらない。相変わらず地下遺跡は静かなままだった。
ただ、なんとなく身体が重い、入ってきたときは何も感じなかったはずだが。
ひょっとしたらダンジョンにいるとそういう作用があるのでは? と思ったが、一方でセナとデューイは特に何ともなさそうである。自分ひとりだけ体力が無いという風にとられるのも嫌だったし、問題なく身体は動くので黙っておくことにした。
そんな思いを知ってか知らずか、ウサ耳の少女がまたスロウに声をかけてくる。
「スロウさん! 足元気をつけてくださいね、滑りますから!」
「え? あ、ありがと」
そう言って彼女は前を歩きつつ、長いウサ耳をこちらの方に向けている。こうして気にかけられるのは何回目だろうか。
さっきから、妙にセナが張り切っているのだ。過保護、というのはちょっと違うかもしれないが、いつもより気遣われているような気がした。あれこれと心配されてどうも居心地が悪い。
そんなに気にしなくていいよと伝えても、どうも彼女はオロオロした様子でこちらに目を向けてくる。やっぱり変だよな。
「……どうかしたの?」
聞かないわけにはいかないだろう。
ごまかすように笑うセナだったが、じっと見つめていると決着はすぐについた。
彼女は悩むそぶりを見せたあと、観念したように息を吐き出す。
「実は、デューイさんから聞いたんです。記憶喪失のこと」
あっそうだ、まだ話してなかった。ひょっとしてさっき聞いたのか。
今までの彼女の態度に納得していると、セナは詰め寄ってきて真剣な顔を向けてくる。
「それでっ! わたしも何か役に立ちたいんです!
わたしだけ――何もできないのは嫌です」
長い耳が垂れ下がっていた。昨日、セナがひざを抱えてうずくまっていたのを思い出す。奴隷商人のオドンを前にした時と同じだ。
セナが『何もできない、何もしない自分』でいるのに苦痛を感じていたのは、横で見ているだけでもなんとなく分かる。
スロウは彼女の隣に立った。
とにかく、泣きそうな顔をしている友達に声をかけたかった。
以前のように、何も言えずに帰るなんてのはもうこりごりだ。
「……セナは、魔法道具で何がしたい?
できるかできないかは一旦置いといてさ」
魔法道具のことを知りたいとよく口にするが、それはただ好奇心や知識欲を満たすためだけのものなのか。違う気がする。でなければどうして、この街まで来て冒険者になろうとするだろうか。
「……」
うつむいた表情で、何かを悩んでいるようだった。
スロウは何か言いたくなったが、じっとこらえて彼女の言葉を待った。
「……実は、以前お話しした空を飛ぶ船。ただ空を飛ぶだけの魔法道具じゃないんです」
そしてついに、彼女は震える声で話し始めた。
「絶対に秘密ですよ、わたしの一族の掟なんですから」と念を押した上で口を開くセナ。
「――空を飛ぶ船は、乗り込んだ人の傷を癒す魔法道具でもあったんです」
彼女は語った。
空を飛ぶ船は、地上のありとあらゆる苦痛から人々を逃し、癒すための、避難基地なのだと。
「わたし、一度だけその癒しの力を見たことがあるんです。
家族が大けがして、その船に運び込まれて……治ったんですよ。
普通だったら死んでてもおかしくなかったのに、今でも信じられないです」
本当に、不思議ですよね。
そうつぶやく彼女は、前に見たような小さい笑みをにじませていた。
「わたしは信じているんです。魔法道具には、人を救う力がある。
だから魔法道具のことを知るのが楽しいんです。
『この力でどんな人を助けられるだろう』って考えるの、すごくわくわくするんです。
最後には必ずここに戻ってくるんです」
常識すらも覆す夢のような力で、窮地に陥った人々を助け出す。
彼女は、その可能性に魅了されたのだろう。
セナはこちらを見上げてくる。
迷って迷って迷って、まだ答えを出せない。そんな表情だった。
「わたしは魔法道具で、困っている人を助けたいです。できるなら、奴隷狩りで苦しんでいる人たちも。
でも、分からないんです。
周りよりも劣っている自分に、夢を追いかける資格なんてあるんでしょうか?
わたしは……どうしたらいいんでしょう」
そうやってセナは静かに問いかけてくる。今度はこっちが話す番だった。
どうなんだろう。
話を聞いている限りでは、まったく問題ないと思った。むしろすごいじゃないか、そんなことを考えていたなんて。
でも、だからといって「その道を進めばいい」なんて簡単に口にするのは憚られた。その先の責任は自分には負えない。
悩んだ末に、結論を出した。
「ごめん、俺には答えられない。それは君が自分で考えなきゃいけないことだと思うから」
自分が進む道は、自分で決めなきゃならない。その判断だけは肩代わりできない。
それに、スロウは真っ当に人を導けるほど世界を知らないのだ。『これから何をすべきか』なんて、自分のことだったとしても簡単には分からない。
スロウは適切なアドバイスができる立場にはいないのだ。
でも。
「でも、一緒に居てあげることくらいはできるから」
これが、スロウの答えだった。
「君がどんな決断をしても、どんな道を選んだとしても、笑わずにそばに居てあげるから」
ひょっとしたら、夢を実現するなんて一握りの人間にしか成しえないのかもしれない。
どこかで、夢を諦めなければならなくなるかもしれない。
そういう時、近くにいるだけの自分にはこれくらいしかできないのだ。
つらいことや悲しいことがあった時に、寄り添うこと。
楽しいことや嬉しいことがあった時に、共に喜ぶこと。
――それだけでもきっと、力にはなれるはずだ。
「だから、泣かないで」
そう言うと、彼女は、はい、とうつむいて黙ってしまった。
「……じゃあ、そろそろ行こう」
なんとなく気まずくなってそう言った。
まずったかなと思いつつ腰を上げて歩き出そうとした瞬間、背後に温かい重さを感じる。
前に回された華奢な両腕を見て気が付いた。セナが後ろから抱き着いてきたのだ。
「セナ?」
返事はない。彼女は背中に顔をうずめたままだ。
視界の端に映るしおれたウサ耳を確認しつつどうしていいか分からずにいると、彼女はふっと、くぐもった声でつぶやいた。
「……ありがとね」
腕の力を強められ、服越しに伝わる体温がさらに温かくなった気がした。
その感謝の言葉を明確に認識した頃には、もうセナは離れていた。
さあ、行きましょう! と、まだ鼻声の残る声で振り返った彼女は、また前を歩き始めた。