第二十八話 親との再会

「でっかい部屋だな……」

 ベッドに寝転がって上を眺める。凹凸の天井に統一感のある焦げ茶色の模様が続いていて、上にまで絨毯が張り付いてるんじゃないかと思った。

 デューイの衝撃の告白の後、聖堂内に設けられていた居住区に案内され、そこで客人としてくつろぐように言われた。
 今まで見たこともないくらい広い部屋で、手足を思う存分広げられるこのベッドは信じられないくらいふかふかだった。

 安い宿や野宿には慣れてきたスロウだが、こんなに豪華な部屋だと逆に緊張してしまう。
 こういう暮らしはたぶん性に合わないなと考えながらあたりをうろうろと歩き回った後、すぐ暇になった。

「そうだ、この剣のこと聞きに行こう」

 ここに手がかりがあるかもしれないということを思い出して、ベッドから起き上がる。

 まだ夕方だし、誰かいるはずだ。

 切れない剣を腰に装着して扉を開き、廊下に出る。
 どこに行ってみようかなと考えながら、とりあえず歩き出した。

「全ッ然、情報集まらないんだけど……!」

 教徒らしき男性にお礼を言ったあと、一人ぼやく。
 見かけた人物に片っ端から話を聞いてみたが、収穫はすがすがしいほどのゼロ。
 ここなら有力な手がかりが得られると思っていたのに、そう簡単にはいかないらしい。

 しかも、迷ってしまった。
 この迷路みたいな聖堂内で、自分が今どこにいるのかすらも分からなくなっていた。

「部屋まで戻れるかな……ん?」

 あたりを見回していると、なんだか聞き覚えのある声がそこの角から聞こえる気がした。

「じゃあ、やっぱりあの鐘は半分の力しか発揮していないんですか!?」
「そうだね、古い文献によると、鍵となる魔法道具が現れた時にもう一つの能力が発動すると記されている。それが何なのかは僕らにも見当がつかないけどね。
ただ、あの時計が回る音色だけでも水の太陽やその他魔物たちの接近を防いでいるのは確かだ」
「なるほど……!」

 そこには、やたらと熱心な声色で質問をしているウサギの少女がいた。茶色いケープから細腕を出して、身振り手振りで興奮を表していた。
 答えている聖騎士も心なしか嬉しそうである。

「……兎の客人が来ていると聞いてたが、なかなかどうして素直な娘じゃないか。
 君みたいに、魔法道具を好きになってくれる半獣人もいるんだね」

 銀色の兜をかぶった彼はくぐもった声でつぶやく。表情こそ見えないものの、どこか謝意を示しているようにも見えた。

 そして、「レオスの祝福があらんことを」と頭を下げたあと、彼はその場を離れていった。

「……良い人だね」
「はい」

 どうやら、スロウの存在には気付いていたらしい。近づいても彼女は驚かなかった。
 セナは両手を前で組んで、柔らかそうなケープに包まれてじっとしている。

「ちょっとだけ、生きやすくなった気がします」

 そういって彼女は、うれしさを噛み締めるように笑っていた。

 しかし、何かを感知したらしい。
 ピクリと耳を動かしたセナは、とある方向に顔を向ける。

「あれって……」
「デューイさんですよね。どこに行くんでしょう?」

 デューイは、まっすぐに続く廊下を緑色のマントを携えた聖騎士とともに歩いていた。
 確かアインズと呼ばれていただろうか、彼にどこかへと案内されているようだ。
 その後に続いているデューイ、よく見ると、少し緊張しているような面持ちだった。

「ははーん、なるほど」

 あいつの普段の傍若無人ぶりはどこへやら、妙にかしこまっている様子のデューイを見て、すぐにピンと来る。

 きっと、親のところへでも行くのだろう。

 そう直感した瞬間に、抑えきれない好奇心が湧いてきた。

「セナ、ちょっと後をつけてみない?」
「ええ!? なんだかダメな気がしますけど……」

 気乗りしない様子の彼女に、耳打ちするようにささやいた。

「でも、デューイの親、見てみたくない?」
「うっ、それは卑怯ですよ……!」

 数秒間の葛藤の末、セナも尾行に同意した。やはり好奇心には勝てなかったらしい。
 早速、デューイたちが進んでいった廊下へと足を向けた。

 この大聖堂の内部はそれなりに複雑な造りだったので何度か迷いそうになったが、セナが二人の足音を聞き分けてくれおかげでどうにか付いていくことができた。半獣人の耳の精度は恐ろしいものである。左右に飾られた無数の絵画や燭台に見下ろされながら、汚れ一つない廊下を進む。

 途中からやたら傾斜のある階段をずーっと上に昇るはめになって、二人してひいひい言いながら必死で後をつけていた。大聖堂のかなり上層まで来たと思う。延々と続く階段にちょっと挫けそうになった二人だったが、途中から魔法道具で風を操って疲労軽減に努めた。ずるいとは言わせない。

 そして、進めば進むほど、デューイの黒い鎧がやけに浮いてみえるような白銀の清らかさが増していった。

 最終的にたどり着いたのは、きれいな大扉と、真っ白な壁で構成された開けた空間だった。

 おそらく、ここが目的地のはずだ。およそ普通の人間には立ち入られないような雰囲気だし、セナの情報ではこの先に彼らが入っていったのは確かだ。

 大きな扉をほんの少しだけ開けて、隙間から顔をのぞかせる。
 一番下からスロウ、セナ、縦耳という順番だった。なるべく音を立てないように息をひそめて中をうががう。

「寂しい部屋ですね……」

 部屋の中はずいぶんと殺風景だった。
 壁際で左右対称に並べられたろうそくの灯(ともしび)と控えめのステンドグラス、そして大きめの机。それくらいだった。およそ人間的な生活感は感じられなかった。俗世から完全に切り離された、儀式めいた部屋である。

 運の良いことに、デューイはここから見える範囲にいた。こちらに背中を向けて、軽いジェスチャーを交えている。そして、デューイの背中越しに、いかつい顔をした老人が座っているのが見えた。豪華な服を身にまとった彼は、先ほど壇上にて演説をしていたあの老人だった。

「あれがお父さんかな……。
 セナ、何話してるか分かる?」
「えっと……あれ? 何も聞こえない……?」

 スロウの上で頭をかしげたらしい少女は、いぶかしげに唸った。
 セナの聴力で聞こえないはずがない。
 ということは。

「……魔法道具でも使ってるのかな?」
「そういえばあの聖騎士さんが見えませんね」

 一緒に入っていったはずのもう一人の聖騎士アインズは、ここからじゃ死角になってて見えなかった。
 仕方がないのでそのまま彼らの様子を見続ける。

 デューイは、妙におどおどしていた。久々の再開、というには少しばかり委縮しすぎている気がする。あいつらしくない。

 対して父親の方は、少しも笑顔を見せていなかった。
 依然として厳しそうな表情を浮かべていて、信じられないことだが、デューイのことを歓迎していないのは明らかだった。

 ……なんでだろう?

 そう疑問に思った直後、背筋が凍った。

「君たち……何をしているんだい?」

 心臓が口から飛び出るかと思った。

「うひゃあ!!」
「あ、あれ!? 中に入ったはずじゃ!?」

 いつの間にか、緑色のマントを携えた聖騎士――アインズが背後に立っていた。
 ガシャガシャいっていたはずの鎧の音すら聞こえなかった。セナも完全に虚を突かれたのか、耳をピンと張り伸ばして硬直していた。

「盗み聞きとは感心しないね」

 アインズはスロウ達が寄り掛かっている扉を軽く開けて、つぶやいた。

「気付かれてないみたいだから良かったけど。
 ――せっかくの家族水入らずなんだ、邪魔はしないでもらえるかな」

 いまだ腰を抜かしているスロウ達の前で、彼は懐中時計を取り出す。

「もとの場所に戻っていなさい」

 その時計から、ルーン文字の淡い輝きが漏れ出した。

「ちょっと待っ……あれ!?」

 瞬きした瞬間、ほんの一瞬のうちに、アインズが目の前からいなくなった。
 いや、違う、いなくなったのは自分たちの方だ。視界に映っていた景色がまるごと変わっている。スロウ達が寄り掛かっていたたずの大扉も、無い。壁は真っ白どころか、くすんだ灰色である。

 どういう仕掛けか――といっても十中八九あの魔法道具だろうが――まったく別の場所まで無理やり送られたらしい。

「……ここ、私たちがさっきいた場所じゃないですか?」

 だが、セナの一言でやっと気付いた。
 先ほど、セナが伝説の魔法道具について熱心に質問していたあの場所だ。確かに見覚えがある。

 心臓のバクバクを押さえながら、アインズの持っていた魔法道具の能力を予想した。
 懐中時計の形をしていたことも踏まえると……。

「……数分前にいた場所まで転移させる魔法道具か?」
「面白い力ですね!
 って、今からじゃもうデューイさんのところに戻れないですね」

 セナは先ほどの盗み聞きがバレた瞬間を思い出したのだろうか、胸に手を当てて深呼吸している。見つかった時の衝撃がまだ抜けていないらしい。チラチラとこちらを見てなんとなく帰りたそうにしていたが、スロウはそうじゃなかった。
 顎に手を当てて、さっきの部屋の前まで戻る方法を考える。

「待てよ、魔法道具の力だったんなら……」

 ひらめいたスロウは音叉剣を引き抜いて、セナに手招きする。

「セナ、もっと近づいて。
 もう一回、同じ力を使ってみる」
「へ?」

 ハテナマークを頭上に浮かべつつも素直に従うセナ。その横で、剣を構えて念じてみる。
 この剣なら、できるはずだ。かつてセナの短剣でやったように、別の魔法道具の能力を再現することが。
 音を鳴らすのでも、風を起こすのでもなく、あの懐中時計の能力をもう一度……。

 小刻みに剣を揺らして、能力を発動する。
 ――手ごたえがあった。普段使っているときとは輝き方が、微妙に違った。

 瞬きする間に目の前の景色が再び変わった。
 きれいな大扉と、真っ白な壁で構成された空間。

「よし! 戻ってこれた」
「えぇ……もう何がなんだか……」

 疲れた表情を浮かべるセナを尻目に、もう一度大扉まで忍び足で近づく。

「なんでそこまでするんですか?」

 ちゃっかり後ろについてきているセナに呆れたように問いかけられた。

「家族と再会するのがどういうものか、知りたい」

 扉に手をかけて、もう一度部屋の中を覗き見た。

 アインズは、今度はここから見える範囲にいた。
 デューイたち親子はまだ話し合っているようだが……何やら様子がおかしい。
 アインズもどうやら困惑しているようだ。幸か不幸かこちらに気付く様子は無さそうだったが。

 父と思しき人物はいまだに複雑そうな表情を浮かべていて、まともに取り合おうとしていない風に見える。

 対するデューイは机を叩いて怒鳴っている。
 身を乗り出して怒りを表していたが、突然、動きが止まる。

 あいつの背中越しに、お父さんが何かをゆっくりと話していたのが見えた。
 一体何を告げたのだろうか、今まで肩に力が入っていたデューイが、後ずさりしていたのだ。

 その時のデューイの横顔がチラリと見えた。ほんの数秒だった。
 茫然とした表情から、徐々に、泣いているような、怒っているような、いろんな感情がぐちゃぐちゃに混じった顔になって、俯いていた。

「様子がおかしいですよ」
「どうしたんだろう」

 でも、デューイなら何か言い返すと思った。あいつの性格を考えれば、少なくともやられたままではいられないはずだから。
 けど、あいつは何も言わずに黙って彼に背中を向けた。

 妙だった。デューイがあんな顔をしているのは見たことがない。

 だが、そんな違和感もすぐに掻き消された。

 話を完全に終えたらしいデューイが、アインズとともにどんどん歩いてくる。

「ちょっ、こっち来る……!」
「そっち行ってください、そっち……!」

 慌てて廊下の角に身を隠した直後、扉を力任せに押し開ける音がした。

「やっぱり、戻ってくるんじゃなかったぜ……!」
「待ってくれ、デュークガルツ。父さんだって忙しい人なんだ」
「へっ、忙しいならなんだって許されんのか?」

 なんとか気付かれずに済んだようだが、
 ずんずんと早足で歩いていく彼らの後ろで、二人目を見合わせた。

「……付いていこう」

 ここまで来ると、好奇心よりも心配の気持ちの方が強くなっていた。