第二十九話 仲違い

 その後、デューイとアインズは階段をかなり下りて少し進んだところにあった一室に入ったらしい。

 その部屋の前にかがんで耳を澄ませる。今度ははっきりと聞こえた。

「デュークガルツ、何だそれは。
 ここで酒なんか飲まないでくれ」

 ため息が聞こえた。間が空いた後にビンを叩きつける音がして、デューイが構わず酒を煽ったのだと分かった。

「……ひとつ聞かせてくれ。どうして帰ってきてくれたんだい?
 勝手に家を出ていったあげく二十年も連絡すら寄こさなかったのに、なぜ急に?」

 デューイは何も答えない。

 そのまましばらく沈黙が続いて、どうしようかと思い始めたときに、突然アインズが言った。

「――もしかして、期待していたのかい?
 父さんと、仲直りすることを」

 さっきのとは違う沈黙だった。衣擦れの音も何も聞こえない完全な無音状態。
 見なくても分かった。デューイにとってそれが図星だったということが。

「無駄だったけどな」

 吐き捨てるように呟いたあいつは、もう何も話したくなさそうだった。
 ビンをテーブルに置く音が聞こえて、アインズは降参したように息を吐きだした。

「分かった、また明日話そう。ミラ様の件も」

 そう言って退室しようとした直後、アインズはふと足を止める。

「……僕は団長として、君に聖騎士団に入団してほしいと思ってる。
 そのことも、考えておいてくれ」

 そして、彼は鎧を鳴らしながら部屋を出た直後、廊下の途中で突然消えた。

 あの懐中時計を使ったのだろう。廊下の影から身を出したスロウとセナは、彼がいなくなったことを確認して、半開きのドアの前まで移動する。

「大丈夫か?」

 デューイは、自分たちがいることなど少しも感づかなかったらしい。
 かなり、驚いていた。

「あー……聞いてたか?」
「まあ、ちょっと」

 そう言うと、デューイは――今度は酒ビンを静かに置いて、椅子に深く腰掛けた。

 改めて部屋の中に入る。
 どうやらここは、食料の貯蔵庫の一つであるらしい。白い壁が八割を占めていたこの聖堂では珍しく、木の香りが漂う温もりのある内装だった。

 壁際には網で吊るされた野菜や果物のほか、コルク栓を詰めたビンなどが棚の中にぎっしりと置かれている。その中でデューイの近くにある戸棚だけが空いていて、こいつはそこから酒を取り出したようだ。部屋の中央に配置されたテーブルの上の、半分減った酒ビンが目に入った。

「デューイさん……デュークガルツさん?
 えっと、何て呼べばいいでしょうか」
「好きなようにしろ」

 デューイという名は、おそらく偽名だったのだろう。
 それでも今更呼び方を変えるのは気持ち悪く感じて、以前のように呼ぶことにした。

「じゃあデューイ、何があったんだ?」
「…………大聖堂に入ったとき、檀上で偉そうに説教たれてたジジイがいただろ?」

 デューイは、今度は酒に手をつけようとはしなかった。

「あいつがオレの親父でな。さっき、顔を見せに行ったら『お前と話している時間は無い』だとさ」
「歓迎してくれなかったのか?」

 聞くと、黙ったまま眉をひそめてうつむいた。
 肯定を示す沈黙である。

「……お母さんは?」
「もう死んでる」
「さっきの聖騎士さんは、デューイさんのご兄弟の方ですか?」
「アインズウォークか? ああ、あいつはオレの兄貴だぞ。
 分かっていたが、もう団長にまで上り詰めてやがった。
 ……うらやましいもんさ」

 どうやらあの緑色のマントを羽織った聖騎士、本名はアインズウォークというらしい。
 うすうす気付いてはいたが、やはり血のつながった兄弟だったようだ。

 彼はデューイのことを何かと気にかけているようだが、当の本人は居心地が悪そうだった。

「……気楽に旅してた方が良かったかもな」

 そう言ってまた酒を煽ったデューイ。
 後悔しているように見えて、――あくまでも善意のつもりで――口を開いた。

「家族とは、仲良くした方がいいよ」

 ――それが無責任な言葉だったと気づいたのは、すぐだった。

 見開かれたデューイの瞳孔が、敵を認知した肉食動物みたいにスッと細くなった。

「分かってるよ!!!!」

 テーブルを蹴り飛ばして迫ってきたデューイに、胸倉をつかまれた。その勢いのまま壁に叩きつけられて、鈍い痛みが走る。

 鬼のような形相を浮かべるデューイに、恐怖心すら抱いた。

「ちょっ、デューイさん!」

 すかさずセナが制止に入るが、胸倉を掴んだこいつの力は増すばかりだった。

「オレが……オレが努力しなかったとでも思ってんのか!?」
「離してください! スロウさんが怪我しちゃいます!」

 当然ながら、彼女の華奢な腕に阻めるほどデューイは弱くない。
 ただでさえ図太いこいつの両腕が、怒りでさらに膨張しているように錯覚した。

 壁に押さえつけられる痛みと、鼓膜に響く怒号を受けて、相手の怒りがこっちにまで伝染。
 かっと頭に血が上ったスロウも、思わず口を開けていた。

「でも家族と一緒に暮らすってのが普通の幸せだろ!?」
「その普通すら手に入らなかったやつの気持ちが分かるのかよ!?」

 ――怒りのあまり言葉すら浮かばず、ただただ睨み返すばかり。

 お互いに譲らなかった。押さえつけるデューイと、押さえつけられるスロウ。

 一触即発の状態がどれほど続いただろうか。
 突然、デューイが両手を離し、背を向けた。

「チッ……気分悪い。先に寝る」

 デューイは扉を乱暴に開けたまま不機嫌そうに出ていった。
 空気の淀んだ貯蔵庫にとり残された二人。

「……なんだよ、酒くらい片付けろよ」

 そう呟いても、負け惜しみのように聞こえるだけだった。
 心配そうなセナが視界の端に映ったが、何も言わずに転がる酒ビンと倒れたテーブルを直す。そして結局どうしようもなく、二人はお互いの部屋に戻ることになった。

 いまだくすぶる興奮と、針のような罪悪感を抱いて戻ったスロウは、その日一晩中眠れなかった。