第三十話 気分転換

「うわ、ねっむ……」

 体が異様にだるかった。
 でかい窓から差し込む光で目を覚ましたが、気分は晴れない。昨晩デューイと盛大に喧嘩したことが気になっていて、気が付いたら空が明るくなっていた。

 しかもただでさえこんな豪華な部屋でくつろぐことに慣れていないのだから、よけいに疲労が溜まった気がする。

 頑張ってベッドから起き上がり、ぜいたくにも部屋に備え付けられた鏡の前まで移動してみると、案の定、目の下にクマが出来ていた。

 やばい……眠い……。

 既に日は昇っているが、なんだか何も考えられない。ふらふらとベッドまで戻ろうとすると、途中で背後からノックの音がした。

「スロウさん? 起きてます?」

 扉の向こうから元気そうな声が届いてきた。ぼやける意識の中でセナのものだと理解する。
 正直返事するのが面倒だったが、このまま無視するのも気分が悪かった。

「うん、これから寝るとこ」
「ええ!? もう朝ですよ!?」

 割と本気の言葉だったのだが、開けて開けてと懇願されて仕方なく対応することにした。

 目をこすりながら扉を開けると、きれいに身だしなみを整えた半獣人の少女がそこに立っていた。

「――出かけましょう!」

 半ば強引に連れてこられる形で城下町まで降りてきた。
 やたらと眩しく感じる日光に目をしょぼしょぼさせながら、魔法道具が陳列された商店街を散策する。セナが先頭でスロウが後ろという、お決まりの立ち位置だ。

 一体なぜ、こんな日に限って無理やり連れ出されたのだろうか。残念ながらそれを考察する気力は今のスロウには無かった。

 クマが浮かんでいるであろう目元を上げて周囲を見渡す。

 ここ白銀都市に露店は少なかった。みな立派に店を構えていて、その内側で商売を行っているらしい。ガラス製の窓を備え付けた店がいくつもあったのには驚いたが、眠気のせいでその驚きも半減していた。

 ガラスというものの存在は知っていた。確かセナが話していたような。ダンジョンで出土した文献を読み解いて製法が知れ渡ったとか言っていた。ペラペラとうんちくを語っていたが、「まあ魔法道具の方が面白いんですけどね!」と結論づけていた気がする。

 そんなこんなで適当に相槌を打ちながら、通りに並んでいる店の中では小さな分類の、こじんまりとしたおしゃれな店へと入っていった。
 狭い場所にぎっしりと並べられた商品に囲まれていると、庶民派のスロウとしてはなんとなく落ち着く。肩を商品に当てぬように物色していると、一つの魔法道具に目が止まった。

「あれ、この魔法道具……見覚えあるな」

 この店の目玉商品なのだろうか、目立つ場所に高々と飾られていたのは、紫色に光るルーン文字を携えた杖だった。……どこか馴染みがある。

「……これ、私たちが出会ったときに見つけた杖ですよ!」
「ああ、あのバリアのやつか」

 紫色の障壁を生み出す能力に、いろいろと助けられたことを思い出した。
 最終的にスロウは手放すことになったのだが、どうやらあの後回収されて正規に出回っていたようだ。
 質の良い油でも使っているらしく、なめらかな光沢に彩られていて、念入りに手入れされていることが伺えた。

「はえー、こんな綺麗だったっけか。
 えーと値段は……」

 取り付けられた値札を見て、時間が止まった。

「……おかしいな。数字の桁が多く見えるぞ」
「……本当ですね、わたしの目がおかしいんでしょうか」

 目をこすってみるが、残念ながら数は変わらない。
 妙に横に長い数字の羅列を眺め続けて、徐々に現実を理解する。

 もし、これをスロウ達が持っていたらどうなっていただろう?

 自分たちが手に入れていたかもしれない利益を想像して、頭を抱えた。

「――くっ、手放さなきゃ良かった……!!」
「え、えと、仕方ないですよ!
 わたしたちの物じゃなかったんですし!」

 いや、分かる。

 もともとこの魔法道具の所有権はスロウ達にはなかった。だから仕方ない。
 まあ……これを持っていたら旅をするのはだいぶ楽になっただろうけど? でも過去のことなんだから仕方ない。

 ……簡単に放り出してしまったことに自責の念を覚えていると、後ろから店主がひょこっと顔をのぞかせてきた。

「おっ、兄ちゃん目がいいね。そいつはついこないだ入荷したもんだよ。
 ギルドからの評価も高くてな、仕入れるのに苦労したぜ」

 おそらく営業のつもりなのだろう、商魂たくましい彼は事細かに性能の説明をしてくれたが、残念ながらその魔法道具の第一発見者だったスロウたちはもう知っている。ただの勘違いだと思いたかったが、詳しい能力を聞けば聞くほど確かに自分たちが持っていたものだと判明して顔を覆いたくなった。

「ま、こういう防御系の魔法道具は人気があるからな。
 すぐに売り切れるから買うなら今だぜ」
「この都市では守りに特化した魔法道具がよく売れてるんですか?」

 泣く泣く質問すると、その店主は胸を張って答えた。

「『汝、人を傷つけることなかれ』。我らがエクスレオス神の御言葉だ」

 彼は誇らしげに語る。丁寧に磨かれた杖の魔法道具が、彼の背後で輝いていた。

「俺にだってガキや女房がいるしよ。
 危ない魔法道具の矛先がこっちにまで向いたら、たまったもんじゃねえや」

 人が良さそうな笑みとともに左手の甲を見せる店主。
 その薬指に小さな指輪がきらりと光っていた。

「もちろん、『守り』以外の魔法道具もそろえてるぜ! 格安だがな!
 はっはっは!! ゆっくり選べよ!」

 そう言いつつ、彼はまた別の客に接客するべく離れていった。

 店を出た後も、彼の言葉が妙に頭に残っていた。

 攻撃的な魔法道具は、ここじゃ価値が低い。
 そういうものに分類されるような代物は、確かに相場よりも安い値段で売り出されている。
 本当に危険な魔法道具は聖騎士団が「検査」して除いているとはいえ、ある意味誰にでも凶器が手に入りやすい環境である。冒険者等、戦いを生業としている者向けに販売されてはいるが、それでも人々が怯えずに幸せそうにしているのはレオス教への信仰があるからだろうか。

 ふと、黒い湾刀を振るう大男の背中を思い出した。
 殺傷能力の高い魔法道具を扱うあいつは、ここではどういう立場にいたのだろうか。

「……やっぱり、デューイさんのこと気になりますか?」

 はっとして隣の少女を見やると、苦笑した横顔が映った。

「あはは、良い気分転換になるかなーと思ったんですが……」
「心配してくれてたの?」
「派手に喧嘩してたじゃないですか」

 どうやら、こうして城下町まで連れ出されたのは彼女なりの気遣いのつもりだったらしい。仲違いの一部始終をすぐそばで目撃して何もせずにいられません、とセナは語った。
 頭に血が上った瞬間を見られていたことに、今更ながら恥を覚える。

 セナは後ろ手のままステップを踏んだあと、こちらを振り返った。

「スロウさん、このままデューイさんと別れてしまってもいいんですか?」

 春らしい柔らかい日差しが注いでくる。
 後悔する道は選ばない。
 いつだったか、言われた言葉を思い出した。

「……そうだよな。ありがと、セナ。
 ちょっとあいつのこと探してくる」

 はい、頑張ってくださいと手を振る彼女と別れて、大聖堂へと足を向けた。
 眩しく感じていた陽光にも、いつの間にか目が慣れていた。