第三十九話 望まぬ戦い

「大丈夫です、まだ気付かれてないみたいです」

 突然現れた本物のエーデルハイドの魔人を前に、影から様子をうかがう。

 あの偽の魔人が作り出してくれた土の杭のおかげで身を隠すことはできている。
 今なら逃げることも、なんなら奇襲することもできるかもしれない。

 だが、それよりも。

「おい待て。あの女……見たことあるぜ」

 つぶやいたデューイに、スロウも同じ感想を抱いた。

 大きなフードで頭部を隠していた時の容姿と、あの凛とした口調にどこか覚えがあった。

 ジャッジ部隊がひそかに周囲を取り囲んでいる気配を感じながら、旅を始めてからの記憶を辿る。

 暗いマントを羽織り、おそらくスロウよりも小さいであろう小柄な体躯。
 金色に輝く光の矢を生成する、弓の魔法道具。
 それを扱う、とんでもなく強い少女……。

「――思い出した!
 水の太陽に襲われたとき、助けてくれた人だ!」
「え!? 知り合いなんですか!?」

 小声で驚きの表情を浮かべる仲間に頷いた。
 そういえば、あの時セナはまだいなかった。

 ――スロウがデューイとともに旅を初めて、村でのことだった。

 当時滞在していたミスフェルという村で水の太陽による襲撃を受け、命の危機に瀕したとき、突如現れたのがあの少女だった。
 遠距離戦に用いられるはずの弓矢を、ほぼゼロ距離の近接戦に使っていたことを思い出す。
 それでおびただしい数の魔物を、瞬く間に殲滅せんめつしていたことも。

 確か、名前は――。

「エル――」
「『エフィール・エーデルハイド』!!
 ついに見つけましたよ!!」

 途端にスロウの声をかき消すように叫んだのは、ジャッジ部隊のリーダー。

 その直後、静観していたはずのジャッジ部隊が、まるで次元の違う機動力でうごめき始めた。

「……!」

 即座に弓を構えた魔人に対し、突如、上からジャッジ隊員が落ちてきた。

 振り下ろされたナイフを、慌てることもなくバックステップで避けた魔人。

 スロウが見上げると、中空に糸のようなきらめきが見えた。いつの間にワイヤーを張り巡らせていたのか。

 切りかかった隊員はすぐさま森の中へ身を隠す。
 そこへ別の隊員が、杭の下からさらなる追撃を試みた。

 奇襲、離脱、奇襲――。
 その一連の流れを四人でひたすら繰り返す、徹底したヒットアンドアウェイ。

 完成されたチームワークだった。

 一人はナイフを突き出し、一人は離脱し、一人は小型ボウガンによる射撃で援護。

 そこへ隊長であるヘンリーが、ワイヤーで妨害を加える。

 敵が動こうとした瞬間に、足に絡ませる、弓を奪おうとする、首を輪にかけようとする。
 時には自ら攻撃に向かい、時にワイヤーで即席の足場を作り、味方の離脱を手助け。

 エリートと謳われたジャッジ部隊。
 彼らは、確かに強かった。

 ……だが、それでも攻め切れない。

「オレたちも加勢するか!?」
「いや、待ってくれ!」

 目に焼き付いていたのは、『あの時』と同じ彼女の戦闘スタイル。
 弓矢を用いて、ひとり超至近距離での攻防を繰り広げる、あの姿。

 ――かつての命の恩人が、大犯罪者だった。

 そのことに抱いた一瞬の迷いと混乱。
 その一瞬で、戦局が大きく傾いてしまった。

 瞬きした瞬間に隊員の一人を地に伏せた魔人は、続けざまに弓を乱射。
 放たれた黄金の矢は確実に命中したらしい。森の中を動き回っていたヘンリーの気配が消え、広間に残っていた隊員も、目にもとまらぬ早撃ちで吹き飛ばされた。

 動く者は、誰もいなくなった。

 ただ一人、エーデルハイドの魔人を除いて。

「――それで? あんたたちもやるの?」

 彼女は、明らかに隠れているスロウたちに向けて問いかけていた。
 ……物凄いプレッシャーだ。簡単には逃がしてくれないらしい。

 だが、逃げる前に、聞いておかなければならないことがある。
 隆起した土杭の下から、身を出した。

「エル!!」
「……ん?」

 口にした名前に、怪訝な表情を浮かべる少女。
 さっきまで真っ赤に染まっていた彼女の両目は、きっと元々の色彩だったのであろう金色に変わっていた。

「君に、水の太陽から助けてもらったことがある。覚えてないか?」
「水の太陽?
 ――ああ。あんた、あの時の。
 スロウだっけ? 生きてたんだ」

 そういえばそんな名前を名乗ってたわね、と彼女は懐かしそうな目を浮かべた。
 一人で複数人と戦った直後にも関わらず息ひとつ切らしていないのを見て、やはり、ただ者ではないのだと思い知らされた。

「君が、あの『エーデルハイドの魔人』なのか?」
「ええ、そうよ。
 ま、こんなところ見られたらバレるのも当然か」

 めまいがした。
 彼女が、あの『最悪の魔人』だって?

「……なんで、あの時助けてくれたんだ」
「……別に。恩を売っておけば動きやすくなるって思っただけよ。
 それより」

 その少女の言葉が終わらぬうちに、大柄な男が切りかかっていた。
 上段から振り下ろしたその一撃は、しかし羽のように躱される。

「スロウ! 気ぃ抜くな!」

 デューイは断切剣を構えたまま、スロウとエル……エーデルハイドの魔人との間に立っていた。

 おい、あの一撃は本気のときにしか見られないぞ。

「ごめんなさい、スロウさん。
 ジャッジさんたちが動いてる音がしません。
 私たちだけでも逃げないと」

 長い縦耳をピンと伸ばして警戒するセナに、そう促される。

 やっぱり、敵なのか……?

 けれど逃げるにしたって、背中を向けられる相手じゃなさそうだ。

 音叉の剣を構えて見上げると、エル……いや、エーデルハイドの魔人は、ため息をついていた。

「相変わらず、そんな弱そうな剣を使ってるのね」
「……何だって?」
「音を出すだけの魔法道具でしょ?
 あたしを倒そうっていうなら、やめといた方がいいわよ。
 そんなのじゃ絶対勝てないから」

 鼻で笑いながら、彼女は続けた。

「『魔法』だとか、『神の贈り物』とか、どれだけきれいごとを並べても、
 そこには『差』があるの。
 弱い魔法道具じゃ強い魔法道具に勝てない。
 どれだけ努力しても、役立たずは役立たずでしか――」
「違う!!」

 反射的に、言葉が喉を突いて出ていた。

「それだけが、すべてじゃない!」

 目を見開いて、初めて驚いたような表情を見せる魔人。

 ――しかし、その金色の瞳は、瞬きする間に血のような深紅へと変貌する。

「あっそ。
 なんでもいいけど、戦うなら容赦はしない」

 彼女が弓を構え、指先をこちらに向けた途端。
 内臓がフワリと浮く感覚がした。

 前にも経験したことがある。
 この、宙に投げ出される感じ。

 重力魔法だ。

「身動きのとれない空中で、あたしの矢が避けられる?」

 ――直後、閃光が放たれた。

「ッ、避けろ!!」

 とっさに風を生み出して、空中から弾かれるようにのけぞった。

 魔法の効果範囲から抜けたのか、地面に投げ出される。
 強打した背中が痛むが――どうにか直撃は免れたようだ。

 これは、逃げなきゃマズイ!

 身体を起こして、顔を上げた。

「――あれ!? どこに……」
「スロウ、横だ!!」

 反射的に首を回す。
 視界を横切る土埃の直線上に、もう魔人は矢をつがえていた。

「やば……!」
「たぁ!」

 しかし、間に割り込んだセナが、突風を巻き上げた。
 過去一番に強力なその風圧は、点に見えた光の矢を流れ星の速度で明後日の方向へと逸らした。

 ――こいつ、側面からいきなり奇襲をしかけてきた。

 身体が硬直してしまったが、その間に視界の端から大きな影が躍り出た。

「おらぁぁああ!!」

 デューイだ。大剣を横に構え、全体重の乗った渾身の一太刀を浴びせようとする。

 だが、エーデルハイドの魔人は、唐突に手のひらを向けた。

 とっさに横へ回避するデューイ。
 そこへ、土の杭が・・・・突っ込んだ。

「ぐっ……!?」
「使えるわね、これ」

 デューイは間に剣を挟んで防御したものの、大きく吹っ飛ばされる。

 とっさに魔人の手を確認するスロウ。偽の魔人が使っていた手袋の魔法道具をつけていた。

 ……ミスった! 重力魔法ばかり警戒していた!

 歯を食いしばりながらスロウも斬りかかるが、あっけなく躱されて距離を取られる。
 魔人は、スロウだけでなく他の二人も視界に入れながらバックステップを刻み、地に足がついた瞬間に残像すら残るほどのスピードで姿をくらました。

 速すぎる。

「――高速移動の魔法道具です! 他にもいくつか見えました!
 弓以外にも気を付けてください!!」
「冗談だろ……!?」

 まだ隠し玉があるのか。

 絶望的な戦力差を前に、それでも剣を構えなおした。

 その後はもう、まるでお話にならなかった。

 超至近距離での射撃をベースとした、読みづらく熾烈な攻撃。
 それに加え、重力魔法と組み合わせた多彩な技。
 いまだ姿を見せない、魔法道具の存在。

 ――捌ききれない。

 まれに相手が距離を取って、どうにか仕切り直しのチャンスが生まれる。
 かと思えばいきなり突っ込んでくるフェイントを挟まれ、形成した陣が崩壊し、攪乱かくらんされる。

 嫌でも慎重にならざるを得ないのに、そこへ畳みかけるように攻め込まれた。
 背中なんか見せられない。逃げる余裕すら、無い。

 無我夢中で矢を躱し、やっとできた反撃のチャンスに飛び込んだ瞬間、土の壁で妨害される。
 実に嫌らしいタイミングで、確実に隙を作らされるように。

 だからと言ってむやみに突っ込めば、重力魔法で叩き潰される……。

 なんだ、これは。

『最悪の魔人』と謳われた、エフィール・エーデルハイド。

 間違いなく、今まで戦ってきた相手とは比べ物にならないほどの強者つわものだった。