第四十話 緊急指令

「それで? まだやるつもり?」

ひざまずいて息を切らすスロウたちとは対照的に、エーデルハイドの魔人はまるで消耗の色が見えない。

……浅はかだった。ジャッジが戦っている間に逃げるべきだった。

数分前に犯した致命的なミスに歯を食いしばる。
この後はどうなるだろう? 全員生きて戻れる保証はもう、ない。

後ろを向いて二人の仲間の方を見る。
あの状況で前衛を担い続けていたデューイは、光の矢を食らっていた。
軽鎧のおかげで貫通までは防げたものの、命中時の衝撃が強かったのか明らかに動きが鈍い。

セナはスロウと同様、怪我はしていないが、凄まじいプレッシャー下での戦いによって精もこんも尽きかけている。むしろあれほど絶望的な戦力差で良くあそこまで耐えたなと思う。彼女の援護がなければもっと早く負けていたはずだ。

この二人を、死なせるわけにはいかないだろう。

敗北の屈辱と、仲間への罪悪感が、スロウを前に進ませた。

「デューイ、セナを連れて逃げられる?」
「……お前は?」
「時間を稼ぐ」

後ろから浴びせられる反対の声を無視して、一人で敵と向かい合う。

一応、策はある。
ドーム状のバリアで閉じ込めれば、あるいは――。

「……信頼してるのね」

必死で頭を動かしていたスロウにを見て、エーデルハイドの魔人は、優しく微笑んでいた。

「そんな関係もの、――いつかどこかで腐るわよ」

わずかに視線を落として考えていたスロウは、固まった。

恐ろしく冷たい声色だった。
腹の底が冷やされるような感覚。殺気でも、悪意でもない。
ただ、正体不明の何かに気圧されるような感覚が残っていた。

そんな威圧感に呑み込まれまいと、口を開いてデューイみたいな煽りをかましてやった。

「お前みたいに壊すだけのやつとは違う」
「へぇ? 言ってくれるじゃない。
――じゃあ、試してあげましょうか」

愉快そうに肩を揺らす魔人。
そして、怪しい笑みを伴った彼女の言葉に、息をするのもどうでもよくなった。

「ベレウェルの黄金剣は知ってるでしょ?」

……何だ?
なぜ、そんなことを聞く?

「言わずと知れた世界最強の魔法道具。
廃都ベレウェルの中心地で、魔物たちに護られているという黄金の剣」

誰にでも分かるように、確実に。
そんな様子で、ゆっくりと染み込ませるように話す、緋色の魔人。

「――あたしはこれから、その剣を奪いに行く」

聞き間違いの余地がない、力強い声だった。

なぜ? そんな疑問を浮かべたスロウたちを先回りするように、彼女は続けた。

「剣を手に入れたら……そうね。
あんたたち三人のうちの誰かを、殺してあげるわ」
「なっ……」

戦慄した。

意味が分からなすぎて、何かの冗談だと思った。
でも、あの魔人から発せられるプレッシャーから、それが本気だということは分かった。
分かってしまった。

「それが嫌なら、ベレウェルまで追いかけてきなさい」
「ふざけるな!! なぜそんなことをする!?」
「試してあげるって言ったでしょ?
次に出会った時にあんたたちがどうなってるか……ふふ、見ものね」

――直後、何かの気配を察知したらしいエーデルハイドは、横を振り向いた。

その瞬間、彼女の視線の方向から何かが飛んでくる。

矢だ。
その針のように細い矢は、あの魔人の腕をかすった。

「無事ですか!?」
「ヘンリーさん!」

現れたのは、小型ボウガンを構えたジャッジ部隊の隊長だった。生きていたのか。

エーデルハイドは、矢のかすった左腕を押さえながら、怪しい挑発的な笑みを見せてくる。

「それじゃ、また会える時を楽しみにしているわ。スロウ」

そう言って、彼女は背後の森の中へ姿を消していった。

「待て!! エーデルハイド!!
……くそっ!」

すでに気配の消えた魔人へ向かって叫ぶジャッジの隊長。
スロウは彼に近づき、暗い表情で口を開いた。

「ヘンリーさん、話があります」

「確かに、そう言ったのですか?
ベレウェルの黄金剣を、奪うと」

頭を抱えて、血の気が引いたような顔色を見せるヘンリー。

「もし本気で黄金剣を手に入れるつもりならば、あの魔人が向かう先は一つしかありません」
「――廃都ベレウェル」

その名を知らぬ冒険者などいない。

水の太陽によって最初に滅ぼされた国。
その中心地にある、水没都市。

それは、探索に行って帰ってきた者は誰もいない、現存する最難関のダンジョン・・・・・だった。

「でも、魔人とはいえ一人で攻略できるわけねえだろ!」
「そう言い切れますか?
彼女は仲間だったはずの戦闘民族を数十人、皆殺しにできるような強者つわものですよ」

その強さは、ついさっき体験したばかりだった。
否定したくても出来なくて、口をつぐんでしまう。

「あれほどの極悪人が最強の魔法道具を手にしたとなれば、どうなるか?
……考えるまでもないでしょう」

場を取り囲む四人が、沈黙に覆われる。

「誰かが止めないといけない」

あいつが黄金剣を手に入れた時、おそらく最初に殺されるのは自分たち三人のうちの誰かだ。
もはや他人事ではない。

そんなスロウの言葉の後に、セナの弱気な言葉が続いた。

「……援軍は呼べませんか?」
「間に合いません。今から街に戻ったのでは魔人に先を越されます。
私の部下も怪我を負ってしまった。
――動けるのは、ここにいる四人しかいません」

互いに手当てをしている隊員たちに目をやったあと、ジャッジ部隊の長は視線を上げる。

彼の目に映っていたのは、三人の冒険者たちだった。

「正気か?」

神妙な面持ちでうなずくヘンリーに、デューイは猛然と反対した。

「無理だ! あそこは最低でもA級でないと近づくことすら許されてないんだぞ!」
「では、この場で昇級いたしましょう」

ジャッジ部隊長は、くるりと顔を向けた。
この場で唯一の、B級冒険者に向かって。

「B級冒険者スロウ、並びにセナ・フラントール。
あなた方をジャッジの権限により、今、この場でA級冒険者に昇級いたします。
――同時に!」

そのまま彼は、有無を言わせぬ声色で続けた。

「ジャッジ部隊長、ヘンリー・グレイフォランより緊急指令を言い渡します。
私と同行し、エーデルハイドの魔人討伐に協力してください」

その言葉は、もはや聞き逃しなどできないくらいに力強く響きわたっていた。

――こうして、ちっぽけな冒険者三人組が、最難関のダンジョン攻略に身を投じることとなってしまったのである。