走る。ただ西へ向かい、そこにあるはずの廃都市を目指す。
最初は何もない平原が続いていたのが、途中からぬかるみが増えてきて、次第に重苦しい雰囲気の漂う湿地帯へと変わっていった。もうベレウェルの領域、ということなんだろうか。
風をまとうだけでは移動できなくなってきて、ワイヤーを支えにしたり、スロウが再現した土の杭を突き出す能力で足場を確保しながら可能な限り先を急ぐ。
道中で出くわした魔物は、そのほとんどが陰湿で、危険なものばかりだった。
例えば、枯れ木に擬態して待ち伏せする『擬態トゥレント』。
こいつはB級に分類されているものの、思わぬ不意打ちを食らってケガをすることが多いらしい。葉っぱ一枚無い不気味な林の間を通っていくときなんかは常に気を張っていなければならなかった。
沼に潜む人間大のカエル、通称『舌撃ち』は信じられないくらい遠くから舌を伸ばして捕食しようとしてくる。その異常な速さと、『ヂッ』という特殊な攻撃音から舌撃ちと呼ばれているらしい。スロウは一度食われかけたが、デューイが反射で舌を切り落としてくれたおかげで命拾いした。そして、A級の魔物はこんなやつばかりだと聞いて嫌な気持ちになった。
その他、魔物を呼び寄せる飛べないカラスや、泥の下に潜んで上を通った者を真っ二つにするカニの魔物など……。待ち伏せや奇襲といった嫌らしい戦術ばかり使う相手が多かった。デューイの冒険者としての知識や、ヘンリーの機転がなければここまで順調に来れなかっただろう。
しかし、良いこともあった。
まず一つ、風の能力について新たな発見があった。
どうやら、能力の使用時間には限りがあるらしい。
長時間ぶっ通しで使っていると、ある時点から急激に効力が弱まることが判明。
スロウとセナの風を十数時間近く使い続けた後からまったく反応しなくなったときは驚いて、ひょっとしたら永遠に力が失われたんじゃないかと不安になったが、翌日の朝になると何事もなかったかのようにいつも通りの力を発揮してくれる……。何かしらのエネルギーを蓄える機能でもあるのだろうか。
これが魔法道具全般に共通してることなのか、それとも風の短剣だけに見られる性質なのかは分からない。
しかし多くの魔法道具に触れてきたセナによれば、おそらくこの短剣に固有のものだろう、とのことだ。
道具によって用途や性質が違うのだからああだとかこうだとか……。
詳しい話は疲れすぎててあまり聞けなかったが、とにかくこの性質のおかげで一日に移動できる距離がほぼ一定のものとなった。
スロウとセナの魔法道具の効力が失った時点でその日の行軍は終了。
代わりに特訓の時間が増え、さらに効率的に時間を過ごせるようになった。
――そして、悪い出来事が一つ。
何日経っても、スロウの射撃の腕が上がることは無かった。
深く息を吸って、金色の矢を引き絞る。
狙うは泥の的だ。
土の杭を隆起させる能力を使い、人間大の的を作った。
沼地の影響を受けて崩れやすそうだが、的としては十分だろう。
そばに置いたたいまつのおかげでこの暗闇でも狙いやすい。火起こし木っ端の効果には舌を巻くばかりだ。
「ふぅー……」
教わった通りに呼吸を整え、指先を静止させる。
片眼鏡の魔法道具は弓の真横に装着している。
戦闘中に目元から外れることが多かったので、使い方を工夫したのだ。
普段はチェーンで腕に巻き付けておいて、弓矢を使う際に光を操り、即席の『置き場』を形成。そこにレンズをはめて照準器代わりに使っていた。これだけで確実に当たるわけではないが、少なくとも遠くは見えやすくなる。
ゆっくりと息を止めて、矢を放った。
――外れ。
……もう一度だ。
落ち着け、深く息を吸って――。
何度も何度も、一連の動作を繰り返す。
しかし、どれだけやっても、矢がみずから避けて行くみたいに当たらない。
構えが違うのか? それとも呼吸か?
試行錯誤を重ねても、なぜか一向に腕が上達しない。
才能が無いなんてレベルじゃない。根本的に何かを間違えてるのか?
――幸か不幸か、この音叉剣は風のエネルギーが尽きてもほかの能力は使えるらしい。
使うエネルギーが別ということなのか、とにかく、練習を重ねたいスロウにとっては願ってもないことだった。結果として、こうして苦しい時間が長続きしているのだが。
物音ひとつしない暗闇の中で、ふとどこかから声が聞こえる。
『剣を手に入れたら、あんたたち三人のうちの誰かを殺してあげる』
突如、胸の奥から湧き上がってくる焦りと不安。
不安定な足元の泥に飲み込まれそうな感覚……。
それを振り払うように視線を上げ、もう一度光の弓を構えた。
やっと――やっと、手に入れた居場所なんだ。
壊されてなるものか。
もっと、強くならないと。
もっと……。
「よお。まだ休んでねえのか」
後ろから聞こえた声に振り返る。
大男が立っていた。
「デューイ」
「明日の夜まで持たねえぞ」
たいまつの明るさに慣れた目では、暗がりにいるデューイの表情は見えなかった。
たぶん、心配してくれてたんだと思う。
でも、スロウはそんな大男の言葉を無視するように、また弓矢を構えた。
「もう少しだけ練習してから寝るよ」
「そうか……あまり気負い過ぎるなよ」
申し訳ないが、練習を重ねることの方を優先する。
……お前だって、まだ死にたくないだろ?
そう考えながら、大男の背中を見送って、また金色の矢を放った。
――仲間の様子を見てきた大男は、湿地帯の水気に侵されていない高台へ戻り、自分の場所に寝転んだ。薄い布ごしに伝わる地面の冷たさが憎い。
それでもパチパチと音を立てるたき火は不快な湿気を取り除いてくれる。
側面から受ける熱にありがたみを感じながら布にくるまると、声をかけられた。
「スロウさん、まだ練習してるんですか?」
半獣人の娘である。火に映った人影で目を覚ましたらしい。
周りを見て一人足りていないことに気づき、うっすらと目を開けていた。
「ああ」
「最近、ずっと寝てないですよね」
「みたいだな」
このところ、あいつは少し追い込まれてるらしい。
もともと無茶な計画だったとはいえ、この面子でピりついた空気になるのはしんどいものがある。
はあ、とため息が聞こえた。
自分のものだと思ったら、どうやら向こうのものだったらしい。
兎の娘は、布団代わりの外套を抱き寄せていた。
「これじゃ、故郷にいたときと同じです……」