第四十四話 試験

「……あそこに魔物がいますね」

 ジャッジが指さす方向には、身体を持ち上げて舌を出す大蛇がいた。

 細長い胴体をうねらせて不気味に泥の上をはいつくばっている。
 図体はかなり大きく、人間など簡単に丸呑みできてしまいそうだ。

 だが何より特徴的なのは、その一つ目である。

 三角形の頭部に不釣り合いなほど巨大な瞳が埋め込まれ、恐ろしいほど鮮明に輝いていた。

「ありゃ『キュクロペイル』だな。A級ダンジョンでよく見かけるやつだ。迂回するか?」
「いいえ、良い訓練になります。
 スロウ君、セナ君、二人だけで戦ってみてください。
 なるべく早く、倒すことを心掛けるように、いいですね?」

 年長組の横で、湿った草むらに身を隠しながら頷く。

 自分とセナの二人だけで魔物と戦うのは初めてだ。
 正直できるかどうか不安だが、やるしかない。

 二人がそれぞれの魔法道具を用意した時に、ジャッジの男からもう一つ、告げられた。

「――今回の戦いぶりを見て、魔人との戦いに参加させられるかどうか見極めます」

 思わず彼の方に振り向いた。ヘンリーの揺るがぬ表情を見て、緊張感が倍になる。

 特訓ではまだ一度も成果を挙げていない。ここがラストチャンスだ。
 何が何でも、成果を挙げないと……!

 ――そして、魔物が目を離した瞬間、飛び出した。

 スロウが矢を放った直後、大蛇の魔物は即座に反応。
 あのでかい一つ目がこちらに向いたかと思うと、突然身体が硬直した。

「っ……!?」

 いきなりの不自由に焦るが、別方向から展開していたセナが射撃。
 魔物が彼女の方を向いた途端、スロウの身体はすぐに自由になる。

 ――どうやら、にらまれている間は身体を動かせなくなってしまうらしい。

 二人で注意を引きながら戦えば、いけるか。
 挟み撃ちを意識して、セナとともに攻撃を加えた。

 やつは目を光らせ、鋭い尾を鞭のようにしならせて自分たちを叩き潰そうとしてくる。
 しかし、十分に距離をとって戦っているおかげか、それなりに余裕を持って躱せた。

 やはり強敵相手に遠距離戦へ持ち込むのは有効なようだ。
 スロウ、セナの両者は風を発動させて機敏に立ち回り、距離を保ちながらじわじわと鱗を削っていく。
 片方が硬直にらみを食らっても余裕がある。徹底したヒットアンドアウェイ戦法だ。

 しかし、二人の矢の命中率には明らかな差があった。

 ――ダメだ、当たらない……!

 スロウが放つ金色の矢はことごとく外れていく。
 巨大なヘビといえど胴体は細長く、当てにくい。

 いっそのこと近距離で戦いたいと思った。あのエーデルハイドの魔人のように。
 でも、それじゃ意味がない。
 いつか倒すべき相手と同じ戦法をとったところで、練度は彼女の方が上なのだ。
 今ここで見極められているのは、遠距離戦の技術の方。戦闘スタイルは変えられない。

 悔しさに歯を噛みしめながら、距離を取って当たらない矢を射続ける。
 一番ダメージを稼いでいるのは間違いなくセナの方だ。おそらく、矢に含まれたジャッジ特性の毒液も効果を与えているのだろう。
 自分はせいぜい、相手を引き付けるくらいしかできていない。

 ヘビの魔物はどんどん弱っていく。ウロコが剥がれ、毒が回り、動きが鈍くなってきた。

 弓の横に固定したレンズに映るきれいな映像に、形容しがたい苦みのような感覚を抱いた。

 A級の魔物相手にうまくやれている。なのに、嬉しくない。
 このままじゃ、あの魔人との戦いに参加できない!
 このままじゃ――。

 その時、楽しそうにボウガンを撃つ彼女の姿が目に飛び込んだ。

 まるで腕の上達を楽しむみたいに。湧き上がる確かな自信を喜ぶみたいに。
 自分にとってはまぶしいほどの笑みを、浮かべていた。

 瞬間、自分の中のスイッチが切り替わる。

 スロウはあの一つ目の付近へ向けて、やみくもに矢を放ち始めた。
 命中率など度外視した、雑な射撃の連続である。

 でもきっとあの大蛇にとっては、かなりうっとおしいことだろう。それでいい。

 彼女の笑顔を見て、分かった。
 自分はエーデルハイドの魔人とは戦えない。
 きっとこの『試験』には、落ちることになる。

 だから、せめて……。
 彼女だけでも、確実に!

 そんな自分の意図に気づいてか、セナは高速で動き回るのを止めて、より確実に当てられるようにじっくりと狙いをつけるようになった。

 スロウはなるべく機敏に立ち回り、石化にらみにかからないことに専念する。

 もう命中率なんか気にしなくていい。セナの射撃を隠すように、当たらない矢を何本も射る。

 目の付近へ放たれる閃光に、大蛇の魔物は簡単に混乱してくれた。
 そして本能のまま、考えなしにスロウへと飛びかかり―ー。

 側面から狙いをつけていたセナにその巨大な瞳を貫かれて地に伏した。

「二人とも、お疲れ様でした。
 A級の魔物相手によくここまで順調に戦えましたね」

 ヘンリーは普段通り、一切崩れていない服装でまっすぐに立っている。
 両手を後ろで組み、銀縁メガネの奥から労わるような眼を向けてきた。

 すでに息絶えた大蛇の魔物は、「念のため」という理由でデューイに首を切り落とされていた。

「さて、本題に入りましょう。まずはフラントール君。
 ――君は文句の付け所がありません。よくここまで腕を上げてくれました。
 魔人との戦いでも、背中を任せたい」
「は、はい!」

 事実上の合格宣言に、セナは嬉しそう笑顔を浮かべていた。
 エリート部隊の長から信頼を勝ち取ったのだ。嬉しくないわけがないだろう。

 そして、ヘンリーはこちらに眼を向けてきた。

「次に、スロウ君。
 戦いを見ていて、自身にできることをやろうとしていたことは分かりました。
 技術不足でありながら、勝利に貢献していたのは確かだと思います。
 正直、ここまでできるとは思っていませんでした」

 ……お?
 意外と好感触じゃないか?

 万が一にも考えていなかった展開に、期待がにじんでくる。

 いや、でも、まさか――。

「――ですが、残念ながら君は魔人とは戦わせられない」

 …………。

「理由は単純です。明らかに練度が足りていない。
 射撃の命中率は、以前と変わらず悪いまま……。
 この成長幅ではとても決戦には出せられない。
 たとえ、先の戦いで最善を尽くせていたとしても、です」

 ……まあ、だよな。
 いや、分かっていたことだ。

 専門家の彼が言うのなら、きっとそうなのだろう。別に異論は無い。
 戦いに参加できないのは不名誉だが、もともと全員が生き残るためにこうして特訓してきたのだ。
 自分のせいで誰かが死ぬくらいなら、まあ、脱落した方がマシというものだ。

「フラントール君も、それで構いませんね?」

 彼はそう言って半獣人の少女に顔を向ける。

 ……きっと彼女は分かってくれるだろう。
 戦いの最中に、自分の意図に気付いて射撃に専念してくれていたことを思い出す。
 きっと、彼女だけは……。

「――はい。
 わたしも、スロウさんは来ない方がいいと思います」
「え?」

 思わず顔を上げた。
 彼女は、自分から目を背けていた。

「では、今後特訓はマンツーマンで行いましょう。
 スロウ君は引き続き、風での高速移動のためにベレウェルまではついてきてもらいます。
 その後の話は別の日にしましょう」

 そう言ってヘンリーは事務的に話を終えたあと、デューイのいる野営地へと戻っていった。

 残ったセナは、何も言わず、そのまま背中を向けて去っていった。

 ――いや、何を期待してたんだろう。

 別に、おかしくないよな。
 自分の射撃の腕なんて、彼女のそれと比べればまるで子供のお遊戯だ。
 信頼できずとも、むしろ当然だろう。

「……」

 いいや、ひょっとしたら俺のことを心配してくれてたのかもしれない。
 優しい彼女のことだ。冷たく突き放すような言葉もきっと、俺の身の安全を思っての発言だったかもしれない。

 ひょっとしたら……。

「…………」

 ――どうして、こんなに、不愉快なのだろう?

 彼女のことを信じたいのに、応援してあげたいのに、

 疑念が、それらを上回る。

『そんな関係もの――いつかどこかで腐るわよ』

 …………。

 腕に巻き付けたチェーンと、湿気で曇ったレンズに触れる。
 足元の濁った水たまりには、何も映っていなかった。

 翌日から、セナとヘンリーは普段通りに特訓を再開した。

 最初スロウはデューイとともに夕食の準備をしていたが、二人もいればすぐに終えてしまう。

 余った時間で、未練がましく弓の練習をしていた。
 一人で、野営地から離れたところで、ひたすら弓を射続ける。

 ――当たらない。
 射っても射っても、外れてしまう。

 やがて、メシにするぞと呼び掛けられる。

 その時、すぐに振り返れなくなっている自分に気が付いた。
 戻りたくないと思った。

 苦楽を共にしてきたはずの仲間が、自分にはもう立ち入ることが許されない場所でメキメキと力を伸ばし、認められている場面を想像して、恐れていた。

 ……自分は『踏み台』にされたのではいか、と。

 しかし、きっと気を使ってくれていたのだろう、朝食の場で彼らがその話をすることは無かった。

 それから、ついていくのが苦痛になった。

 大して役に立てないけど、でもだからといってそこから離脱するのも怖くて、ほとんどそれだけのために足を動かしていた。

 その間ずっと、どろどろに生ぬるい気持ちが、胸の中で不快に渦巻いていた。

 ――ちょうど、そんな時だった。
 滅びたはずのこの国で、街を見つけた。