第四十五話 犯罪者の街 前編

「これは……」
「街……と言えるのか?」

 目に入るのは、つぎはぎ・・・・だらけの街並みだ。

 割れたガラス窓から風が抜け、崩れ落ちた壁は湿った木材で雑にふさがれている。
 寿命を迎えた建物を三日坊主が修復すると、こんな風になるのかもしれない。

 そんな廃墟寸前の家屋が、穴ぼこだらけの道に沿ってずーっと続いていた。
 足元に漂うわずかな霧が、その怪しげな雰囲気をさらに強めている。

 けれど、そこには確かに人がいた。

 唐突に現れたこの街の入り口では一人の男がうなだれているし、遠くには人影もちらほら見える。
 幽霊ではないと思う。やたらと酒くさいにおいがするし、汚い路地には生活のあとが垣間見えた。

 そうして四人で呆けていると、影からふらりと男が現れた。――ひどい顔だ。
 そいつはクマだらけのまなじりをじっとこちらに向けて、突然、無精ひげにまみれた口を大きく開いた。

「何見てやがる! 殺されたくなきゃ黙って消えろ!!
 目ざわりなんだよクソが……」

 男はぶつぶつとつぶやきながら、一体どこへ行くのだろう、どんよりと暗い路地の向こうへ消えて行ってしまった。
 その後、暗闇の向こうからいきなり怒号が聞こえる。……喧嘩が始まったようだ。

「……正直者が多いな」
「全員、マントで顔を隠してください。ここは治安が悪そうだ」

 と、三人が外套を準備し始めたのを見て、慌てて自分もマントを取り出す。
 寝袋代わりに使っていた大きめのものだ。
 走り込みでの移動の後だったから、羽織ると少し暑く感じた。

 そして、四人でこの謎の街の奥へと足を踏み入れた。

 異様な街だった。

 活気は、ある。しかしながら道ゆく人々のまなじりは鋭く、何かにおびえているようだ。
 唯一にぎやかそうな酒場の前では、地面で酔っ払っていた男たちの中の一人が、隣にいる男から財布を盗まれたのにも気付かず一緒になって笑い合っている。

 狂気とはこういうことを言うのかもしれない。
 どこに行っても、怪しげな雰囲気が漂っていた。

「ここは、犯罪者の街か?」
「……あり得るでしょうね。滅亡したこの国は、もはや完全な無法地帯だ。
 罪人が集まってきてもおかしくはありません」

 なんとなく、背後から突然刺されるんじゃないかと思うくらいには異様な空気感がある。
 ここがワケありの場所であることは、まず間違いがなかった。

「もしかしたら、エーデルハイドの魔人もここを通ってるかもしれない。
 聞き込みをしましょう」
「は、はい、わかりました」
「……ん?」

 唐突に、違和感を覚えた。

 頭の中に霧がかかったように、ほんの一瞬、見える世界がぼやけたような気がした。

 めまいとは、違う。なんだろう。数秒前の出来事を思い出そうとする。
 目に映っていた景色の、特にその一部分だけが、まるでもやにかかったようで――。

 その時、後ろの方でずるずると音がして、直感的に振り返った。

「……あっ」

 一人の少年と目があった。
 明らかにサイズの合っていない白のローブを地面に引きずりながら、こちらを見ていた。

 その少年の手には、見覚えのある油壷の魔法道具が……。

「しまった、盗られた!」
「何?」
「魔法道具!」

 腰につけていた小さな壺がないことにスロウが気づいた途端、走り出す小柄な影。

 村でもらった、能力の分からないあの魔法道具が盗まれたのだ。
 その少年は路地の向こうへと消えていく。急がないとすぐに見失ってしまいそうだ。

「取り返してくる!」
「おい! スロウ!」

 わずかに風を発動させて、走り出す。
 自分に残ったなけなしの存在価値を求めるように、その少年を追いかけた。

 全速力で走りながら、この犯罪者の街で変に目立ったらまずいだろうかと思ったが、走るスロウを見る人々の目に変化はない。それどころかヤジを飛ばしてくる始末だ。
 逃げるスリと追いかける被害者という構図は、どうやらここでは日常茶飯事らしい。

 相手は土地勘があるらしく、狭い路地を機敏に駆け抜けていく。
 大きすぎる白ローブを引きずって動きづらいはずなのに、何度も何度も見失いかけた。

 そこまで考えてようやく気付く。あのローブ、魔法道具か。
 もやのかかった数秒前の記憶をよーく思い出すと……何度も何度も指を差されていたような気がする。

 指定した対象の認識を阻害させる能力だろうか?

 周りからのヤジが関係なく飛んでくることも踏まえると……たぶん、誰か一人にしか使えない能力だ。
 相手から見えずらい位置に行けば、きっと追いやすくなる。

 見晴らしの良い屋根に上がって追跡しつつ、今までに再現していた魔法道具を思い返す。
 相手を見下ろしながらさらに風を強くさせて距離を縮め、この場で使えそうな能力を発動させた。

 瞬間、少年の行く手を阻んだのは、土の壁だ。
 突然にそびえ立った壁に、少年は腰を抜かしているようだ。動きが完全に止まっている。

 よし、これで捕ま――!

 ―ー足元でバキリと音が鳴った。

 いきなり感じる浮遊感。衝撃。
 太ももに走る鈍い痛みに耐えたあと、踏み込んだはずの右足が宙ぶらりんになっている感覚に気が付いた。

 屋根が抜け落ちたらしい。

「おい! 何やってんだ!」
「す、すいません!」

 見えない足元から聞こえてきた怒鳴り声に謝りながら足を引き抜く。
 もたもたしている間に少年は別の道を見つけたらしく、逃げ出してしまった。

 またやり直しか。
 同じてつを踏まないように屋根から降りて、もう一度追跡を始めた。

 前方を走る少年は何度もこちらに振り返り、指を指してくる。
 微妙にゆがむ視界。でも、事前にわかっていれば何てことはない。足を動かし続ける。

 追いかける途中で視界に入ってくるのは、道ばたに捨てられた魔法道具、路地裏で冷たく横たわる死体、謎の液体に浸された魔人の赤い眼球、それを売る怪しい男――。

 異様な光景だ。悪夢を見ているんじゃないかと思った。

 顔をしかめながら追いかけているうちに、展開が大きく変わる。

 でこぼこに凹んだ通りを走っていると、後ろで物音が聞こえた。
 とっさに反転。
 あの白いローブの影が、遠くで別の路地に入っていくのが見えた。

 しまった! 隠れていたのか!

 気が付かずそのまま通り過ぎてしまったらしい。だいぶ距離をあけられた。逃げられる!

 ――反射的に、能力を使った。

 瞬間、切り替わる景色。

 そのまま首を右に回す。見つけた、あの子だ。
 勝利を確信したのか、足を緩めている。今なら追いつける!

 最大火力で風を発動し、急接近。
 目の前にまで迫ったその小柄な体躯に、手を伸ばした。

「こら!」
「うわあ! なんで!?」

 猫のように飛び上がる少年。
 何度も人差し指をこちらに向けてくるが、じかに捕まえているのだからあまり意味はない。

 スロウは彼がジタバタと暴れるのを腕で押さえつけながら内心、ほっとしていた。
 このまま逃げられていたらどうなってたか……。

 使ったのは、かつて白銀都市でデューイの兄が使っていた、懐中時計の能力だ。
 直前まで自分がいた場所までワープする力だったが、こんなところで使い道があるとは……。

 指を差すのを止め、抜け出そうともがき続ける少年に目を向けた。

 白いローブの魔法道具は、袖がびりびりに破れている。
 もともとそういうデザインだったのかは不明だが、長い時間引きずられたのであろう腰布の部分に泥がこびりついているのも相まって、余計にみすぼらしい印象を抱いた。

「さあ、魔法道具を返してもらうよ」
「やだ! 離せよ!」
「そんなこと言ったって、盗みはだめ――」

 駄々をこねる少年に言い聞かせるように話しながらふと目線を上げて、言葉を失った。