第九十三話 砂嵐の塔

 ――ようやく、たどり着いた。

 ついに水も食料も尽きようかという時に、自分たちはそれを見つけた。
 舟を停めて、小さな砂丘を登り、そのてっぺんから確認する。

 竜巻のようにそびえ立つ、砂嵐。

 その薄茶色の雲の粉塵が螺旋らせん状に巻き上がり、そして移動しない・・・・・・・・

 まるでにくさびでも打たれているかのように、
 巨大な砂塵の竜巻はずっとそこに留まっていた……――。

 間違いない。
 あれが『砂嵐の塔』だ。

 エフィールとともに顔を見合わせ、すぐに準備を開始する。

 やることはもう決めてある。

 まずは、ここまで舟を牽引してくれた砂魚たちを解放。
 黄金色の砂漠へと散らばっていくそいつらを見送り、
 次に、持っていけるだけの水と食料をお互いの身体に備え付けた。

 エフィールの重力魔法で、お互いを『重し』にしながら徒歩で通り抜ける作戦である。

 できれば舟を使いたかったが、あの砂嵐だ。
 風に飛ばされないように重力魔法を使ったとしても、たぶんあの砂魚たちの小さな体では自重にすら耐えきれない可能性がある。その状態で牽引など、無茶もいいとこだ。

 だから、舟はここで乗り捨てだ。

 必要な物資だけを回収し、残ったものは置いていく。
 もしいつか別の誰かがここに来たら、きっと助けになるだろう。

「……それじゃ、行きましょうか」
「ああ」

 どちらからともなく、二人で歩き始めた。

 ……すぐに風が強くなっていって、視界に砂塵がちらつくようになってくる。

 この時点でゴーグルを装着。

 オアシスの街で買っておいた保護用の眼鏡だ。
 詳しい作り方は知らないが、つけるときに微妙に生臭い匂いがしたのでもしかしたら魔物の眼球とかを素材にしているのかもしれないと思った。

 やや黒みがかったレンズを通して、目の前で吹き荒れる巨大な砂の壁を見上げる。

 天高くそびえ立つ無数の砂粒が群れとなって、ものすごい勢いで横へ横へと流れていく……。
 この世のものとは思えない光景だ。
 吹き荒れる砂塵が、人間なんか簡単に粉々にしてしまいそうなくらいに力強く流れているのを見て、ごくりとつばを呑んだ。

「……行ける?」

 布で口元を覆っているエフィールが、くぐもった声で聞いてくる。

「ああ、行こう」

 ――重力魔法で身体がずしりと重くなる感触。

 布で自分の口を覆い、分厚い手袋やら防護服やらを確認。
 最後に、自分とエフィールをつなぐ命綱のロープを確かめて……

「……何かあったら助けてよね」

 不安そうにつぶやいた彼女に「任せろ」とはっきり伝え、

 砂嵐の中に、歩き出した。

 ……気持ち悪い感覚はしない。
 ずっと前に遭遇した砂嵐の、あの生温かいおぞましさは今回はまったく感じない。
 わずかに後ろを振り返ってエフィールの様子を見たが、彼女も大丈夫そうだった。
 はっきりと頷いてくれたのを確認して前に向き直る。

 よし、ちゃんと進めるぞ。

 ごおごおと耳元を騒がしく撫でる砂粒の感触に耐えながら、一歩、また一歩と歩みを進めていく。

 砂嵐の中を進んでいる最中は、無言だった。

 そもそも会話できるような環境じゃないのもあるが、エフィールにとっては帰り道のない世界への行進でもあるはずだ。何か口にしたら決心が鈍る、というのもあったかもしれない。ただ、ひたすらに無言だった。

 ――しかしある時点から、歩いているときに何かが変わったと直感した瞬間があった。

「あ、いま一線を超えた」とはっきり体感する不思議な感覚を覚えた直後、

 見える世界のすべてを覆っていた砂嵐が、徐々に止んでいく――……。

 やがて、開けた視界に現れたのは、砂嵐の内側・・の壁。

 見事な筒状にそびえ立つその砂の壁はザアザアと轟音を立てながら上方へと巻き上がっていて、ほんとうに竜巻の中にいるのだと改めて認識した。

 はるか上方を見渡せば、らせん状に巻き上がる砂塵の向こうにきれいな青い空が円形に切り取られていた。

「……意外と呆気なかったな」

 もっと、生死の境を彷徨うような目に遭うかと思ってた。

 ひとまずゴーグルを外し、口元を覆っていた布を取り外す。

 薄暗かった視界が美しい色鮮やかさを取り戻し、息苦しさから解放された鼻と口で深く呼吸をした。
 空気はきれいだ。具合が悪くなるということもない。

「それで、どうすれば元の世界に行けるんだ?」
「……たぶん、この下よ」

 エフィールの声に従って視線を下げると、大地にぽっかりと巨大な大穴が空いているのを理解する。

 彼女とつながっているロープで支えてもらいながら気を付けて近寄り、大穴の底に顔をのぞかせる。

 ――下の方には、何かの遺跡が埋もれていた。

 なるほど確かに、あの辺になら何かありそうだ。

 足元から滑り落ちた砂粒が下の方に消えていくのを見てから、エフィールのところに戻った。

「よし降りてみよう……エフィール、重力魔法を頼む」
「了解」

 彼女の金色の瞳が赤色に変わり、軽くなった身体で何度か飛び跳ねてから崖際へ接近。

 念のためもう一度下のほうを確認してから、お互いを結ぶ命綱はそのままに、自分たちは二人で崖から飛び降りた。

 靴底から砂粒をこぼしながら、ゆっくり、ふわふわと下降していく。

 完全な無風状態なのでコントロールの必要もない。
 ただ、重力に従って静かに落ちていくだけだ。

「……ほんとうに静かだな……」
「そうね……」

 ちょっと遠くの方に目を向ければ、自分たちのいた崖際から大量の砂が音もなく流れ落ちていくのが見える。
 魔物の気配も何もない。ここには、完全に自分たち二人だけしか存在していないみたいだった。

「……まさか、あんなこと言ってくれるなんて思ってなかったわ」

 やがて、長く穏やかな落下の最中に、彼女が口を開く。

「あんなこと?」
「取引をしようって言ってくれたこと。
 なんていうか……誰もがみんな自分の期待通りに動いてくれるわけじゃない、から。
 ……嬉しかった」

 いろんな感情が混ざっているのであろう赤い瞳が、こちらに向けられる。
 ふわりと赤い髪を中空にたなびかせながら浮かべられた弱い笑顔が、ふと、自分のなかにあったかすかな罪悪感を刺激するのを感じた。

「正直、迷った」

 視界の端で、笑顔だった彼女がわずかに息を吸い込んだのが分かった。
 こちらは黙ったまま、近づいてくる大穴の底を見つめる。

「……そうよね」

 やがてエフィールが、ポツリとつぶやいた。

「ぜったい、後悔させないから」

 思わず苦笑してしまった。
 男の俺でもかっこいいと思ってしまうほど凛々しい声をそこで出すのは、反則だろう。

 ……そして、ボフっという鈍い音とともに大穴の底へと着地。
 無数の砂粒が停滞した大地を踏みしめながら、あたりをゆっくりと見回した。

 第一印象は「お墓みたい」だった。

 石か何かで作られた板が何十個、砂の中から顔を出している。
 わずかに傾いていたり、一部が欠けていたりするが、ほぼ等間隔で立ち並ぶ石の板は見た者にどうしようもなく死者たちの存在を予感させる……。

 自分はなんとなく、「この場所で合っている」という確信を抱き始めていた。
 かつて夢の中で出会った、あの銀髪の不思議な少女の姿を思い浮かべながら……。

 唯一、屋根のある立派な遺跡があったので、その中へと侵入。

 途端に肌寒く感じる影の中へ足を踏み入れると、その先に、淡い紫色に光るものがあった。

 魔法陣のようだった。
 今でもその機能を保持しているのか、輪郭から紫色の不思議な光波を揺らめかせていた。

「……ここだな」

 たぶん、これが、元の世界へ通じる通路だ。

 魔法陣の中心部から、この砂漠では久しく嗅いだことのない懐かしい豊かな緑のにおいが湧き上がってくるのを感じて、ついに自分たちは目的の場所にたどり着いたことを理解した。

「……どうするの?」
「行くしかないだろ。
 そっちこそ、本当にいいのか?
 たぶんここが引き返せる最後のタイミングだぞ。
 今なら……」
「オアシスに戻るつもりは無いわよ」

 明確な決意のこもった金色の瞳が、俺を見据えてくる。
 かと思えば、彼女は固い表情を崩して笑いかけてきた。

「魔物はあたし、街の人はあんた。
 そういう役割分担でしょ?
 頼りにしてるわよ」

 そう言って胸を叩いてくるエフィール。

 ずいぶんと余裕じゃないか。
 そんな彼女に負けじと、スロウは次なる言葉を繰り出した。

「そっちこそ、何も言わずにいきなり消えたりしないでくれよ。『エーフィ』」 

 ぴたりと動きを止める魔人の少女。

 この呼び方についてはすでに本人から許可を貰っているのだ。
 何を遠慮することがあろうか。

 一瞬でも明らかな動揺を見せた彼女に、してやったりと得意げな顔を向けると、顔を赤くしたエーフィが「覚えておきなさいよスロウ」と勝ち気な笑みでにらんできたのだった。

「よし、それじゃ三つで同時に飛び込むぞ。
 いいか? いち、にの――」

 魔法陣の前に並んで立ち、二人で助走のような構えを取る。

 ――これでついに、この砂漠の大陸ともお別れだ!

「さん!」

 合図で紫色の魔法陣に飛び乗った。

 軽い足音が遺跡内に響いてから、数瞬後。

 その光が急速に強まって――

 そして、意識が途絶えた。