第九十四話 やくそく

 気が付いた瞬間には、見覚えのある墓地に立っていた。

 真っ白な花畑が地平線上にずーっと広がる、涼しい空間。
 墓標の上を霧が揺蕩う、幻想的な景色。
 足元に触れる、柔らかい花の感触。

 今回は、割と意識がはっきりしていた。

 確信めいたものを感じながら後ろを振り返ると、そこにはやはり、あの銀髪の小さな少女が――
 レア・ルクレールと名乗った少女が、その紫色の瞳をじっとこちらに向けていたのだった。

「……なぜ、助言をしてくれる?」

 スロウは彼女の言葉を待つよりも先に、問いかけた。

「君は、本当に死神なのか?
 それとも天使なのか?
 どうして君は……何の意図があって、こうして俺に接触してくるんだ?」

 まくしたててはみたが、要するに不安だったのだ。
 この謎の多い少女は、いったい自分に、何を求めているのだろうか?

「スロウは、イストリアにかえりたくない?」
「……」

「……嫌なら、それでもいいよ?」

 首をかしげるレア。
 銀色の前髪がわずかに傾いて、彼女の神秘的な紫色の瞳を露わにさせていた。

「……嫌ならそれでもいい、って……
 それは、どうして……?」
「――スロウには、いつか、つらい思いをさせちゃうから」

 彼女は、紫色の目を、わずかに下へ向ける。

「スロウは、王さまとやくそくしたんだよ」

 王様……?

 王様って……俺はそんなの知らないぞ。

 誰だ、それ。

 ……知らないはずなのに……。

「……あれ……なんで俺、泣いて……」

 音もなくあふれ出てくる涙。

 どれだけぬぐっても、ぬぐっても、こんこんと湧き出してくるその涙に俺は困惑した。

 まったく意味が分からない。
 どうして、こんな……?

「スロウは、王さまの最後の希望なの」

 レアは、とある墓標を撫でながらつぶやいた。

 俺はその墓標に刻まれた文字を見て、目を見開いた。
『メレクウルク』。墓標には確かにそう書かれていた。

 しゃがみこんで、その墓標に指先を当てる。

 そこにはもう乾いた感触は無くて、冷たい雫が表面上に結露して、墓標を静かに濡らしていた……。

「……君がいったい何を期待しているのか、わからないけど――」
 俺は、ちゃんと前に進めているのかな……」

 メレクウルクと刻まれた墓標の前にしゃがみながらそう呟くと、ふと、頭の上に小さな手が触れる感触がした。
 どうやら頭を撫でられているようだった。

「だいじょうぶだよ、ちゃんと前にすすめているよ。
 ……信じて」

 視線を上げると、無表情ではなく、伏し目で弱く笑っている彼女の姿が視界に映った。

 しゃがんだままつむじのあたりを何度も何度も優しく撫でられて、冷たいけれど、どこか安堵感のある小さな手のひらに眠くなっていって……

 ……やがて、意識が穏やかにとろけはじめ……。

「ちゃんと、そばにいるからね……」と頭を撫でる彼女の輪郭がぼやけていって――……。

「――スロウ! スロウ!! 大丈夫!?」

 目が覚めると、赤い髪の美少女が目の前にいた。

 エフィールだ。なんかすごく心配そうな顔してる。

 ぼんやりとまぶたを開いて……すぐにハッと覚醒する。

「……ここは?」
「……わからないけど、砂漠とは違う場所には来れたみたい」

 横になったまま視線を傾け、苔やツタに覆われた不思議な遺跡の中にいることを理解。

 すぐ近くには砂嵐の塔内部にあった魔法陣と同じ紋様が床に描かれていたが、こちらのは何の光も発しておらず、転移の機能が失われていることを直感させた。

 ……あれ、後頭部がなんか高いな。
 枕かなんか持ってきてたっけ?

 と思って視線を再度上へ向けると、変わらずエフィールが心配そうにのぞき込んでくる。

 そこでようやく気付いた。
 膝枕されてるのか、これ。

 後頭部に伝わるしなやかな柔らかさを意識してしまったスロウは慌てて上半身を起こし、その勢いのまま立ち上がった。

「ちょっと、平気なの?
 転移したときにはもう倒れてたのよ」
「ああ……平気だ。
 死神さまはたぶん、悪いようにはしないはず」

 きょとんとこちらを見上げていたエフィールが、畳んでいた足を伸ばして立ち上がる。

 その背後に、諸々の荷物なんかが置かれているのに俺は気づいた。
 物資類もちゃんと無事に転移されたみたいだ。

 お互いを結んでいた命綱はさすがにもう邪魔になりそうだったので取り外し、ついでに砂塵を防ぐための防護服やらを脱ぎ始める。

 遺跡の中だけどちょっと暑く感じるので、軽装のほうがちょうど良さそうだ。
 砂漠の大陸での乾いた熱気とはまた違う……湿気のある暑さである。

 自分たちは、もとの世界に戻ってこれたのだろうか?

「外に出てみよう」

 遺跡通路の先から漏れる光を見て、エフィールにそう提案した。

 苔とツタにまみれた遺跡から一歩外に出た途端、視界に広がるのは豊かな緑だった。

 無数の樹木が青々と背を伸ばし、これでもかと枝葉を広げてはるか頭上を覆い尽くしている。
 遮られた日光が枝葉のすき間からこぼれ、遺跡の周辺を明るく照らしていた。
 懐かしい緑のにおいと豊かな雨の残り香が鼻を刺激し、鳥の鳴き声が森を貫いて自分たちの鼓膜を振動させてくる。

 樹海。

 まさにそんな環境だった。
 そこは、美しい森林地帯だった。

「……待って、近くで誰かが争ってるみたい」

 やがて、エフィールが小声でそう伝えてきた。

「……人か?」
「そうみたい。
 数は……五、六人くらいかしら……」
「見に行ってみよう。何にせよ、ここがどこなのか確かめる必要がある。
 あ、お前は念のためフード被っとけ」
「当たり前よ。
 話をするってなったときは頼むわよ?」

 フードを被りながら不安そうにつぶやくエフィール。
 エーデルハイドの魔人と知られれば、交流が一気に難しくなるかもしれない。
 そこは自分がどうにかしなければ。

 彼女を背中に同伴させながら、うっとおしい木の根を跨いで騒ぎの方向へと近づいていく。

 そして、巨大な木の幹に張り付いて様子を伺った。

 騒ぎを起こしていた五、六人は、どうやら追う側と追われる側に分かれているようで。

 片方のグループが攻撃し、片方のグループが一方的に攻撃されている。

 彼ら全員が妙に優れた身体能力を発揮していて、その機敏な動きを目で追うのも一苦労だった。

 だが……何よりも驚いたのは、見覚えのある彼らの見た目。

 ――全員に、獣の耳と、尻尾がついている――。

「半獣人……!?」

 つぶやかれたエフィールの言葉に、スロウの脳裏にはとある一人の少女の姿がよぎっていた。

 かつて、デューイとともに各地を旅してきた、大切な仲間の一人の。
 あの、魔法道具が大好きな、茶色いウサ耳の少女のことを……。

「まさか……!」

『――いつか、スロウさんにも私の故郷を案内してあげたいです!
 とても豊かな大森林で、いろんな半獣人の人たちが住んでいるんですよ――……』

 数多の半獣人族がより集まって形成する、その国の名は――。

「『セトゥムナ連合国』……!
 ここは……セナの故郷だ!!」


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